本編

【Act Ⅰ】
大家(以下,大)「ああ,八っつぁんか。こっち上がっとくれ」
八五郎(以下,八)「へえ」
大「遅かったじゃないか。さっきだろう,ばあさんが呼びに行ったのは」
八「ええ,大家さんのことだから小言だろうと思って・・・いや,こっちのことで。すみません。何だか話があるって」
大「いいから,まあ上がっとくれ。この長屋もな,独り者も何人かいるが,いつまでも一人でいたんじゃしょうがねえ。お前は長屋でも一番しっかりしているから呼んだんだが,お前にな,カミさんを持たしてえと思ってな。あたしの遠縁にあたる娘(こ)なんだけども,嫁さんを世話しようと思うがどうだい」
八「大家さん,話ッてえのァそれですか」
大「そうだよ」
八「で,なんですか。あッしに世話してくれるてえのは,やっぱり人間の女なんですか」
大「あたり前だよ。あたしの遠縁にあたるんだ」
八「あたるってえけどさ,当たりゃいいけど,外れやしねえかな」
大「お前,そりゃ器量言ってんのか。まあ,十人並以上だね」
八「え?」
大「まあ,いい女だよ。ちょっと小柄でね。下ぶくれで,色は白いしね」
八「へええ,女ッぷりはいいんですか。歳は?」
大「ばあさん,あの娘はいくつンなったィ。ああ。二十五だそうだ」
八「二十五?へへへッ,ちくしょうめ。脂がのってやんな」
大「おい,秋刀魚じゃないよ。生れは京都なんだ。両親はとうにもう亡くなってしまって,一人きりでな。長い間,お公家さんの屋敷に奉公していたんだ。先月こっちィ出て来たんだけどもな。どうだ,お前すぐもらう気はないかい」
八「そりゃもらいますよ。歳が二十五で女ッぷりがいいってんだからねえ。もらいますとも」
大「そうかい。あのな,もうそれとなくちゃんと見合いもすんでいるんだ」
八「見合いがすんでる?本当かい」
大「忘れたかな,去年の夏だ。家の前に涼み台を出して夜すずんでいた時に,お前,湯の帰りだって寄って,色々話をしてったろう。そこで,脇にいた女を覚えてるか。暗かったから,はっきりもわからなかったろうが,その女の人なんだがね」
八「ずいぶん略式の見合いだな。覚えがありませんや」
大「あのあと,むこうでこういう風に言うんだよ。今まで長い間屋敷奉公していて,これから嫁に行って,姑・小姑があって,機嫌気づまをとるよりもだな,ま,貧乏は承知だ。末長く可愛いがってくださる,本当の正直な働きもんならばと,相手じゃ望みなんだから」
八「ああ,ええ」
大「なにしろねえ,お前には過ぎもんだよ。針仕事も読み書きもできる。それに,夏冬の道具一通りは持ってきてくれる」
八「本当かい。何から何までうますぎらあな。夏冬の道具ってアンカとウチワかい」
大「それじゃ茶番だよ。ただ一言,ちょっと注意をするけどね。傷じゃないんだけどもね,ちょっと」
八「話がうますぎた。そんなにそろった女があっしンところへ嫁に来るはずァねえと思ったんだ。傷ッてえのはなにかい。横ッ腹ィヒビが入ってんのかい」
大「徳利じゃない。つまり傷というのはな」
八「はァはァわかった。寝小便する」
大「だまって話を聞きなさい。言葉がちょっとな」
八「ぞんざいなんですか」
大「ぞんざいじゃない。京都のお屋敷者だよ。丁寧は丁寧なんだが,それもよすぎてよくわからないときがあるんだ」
八「何でえ。言葉が丁寧なのはいいことじゃねえか。わからないのは大家さんが悪いんだ」
大「そうかよ。あれで三,四日前か。表で会ったんだ。するてえと“今朝(こんちょう)は土風(どふう)激しゅうて小砂(しょうしゃ)眼入(がんにゅう)す”なんてんだなぁ」
八「そうだろう」
大「お前,わかるのかい」
八「わからねえが,立派なことを言って感心だ」
大「わからなくて感心する奴があるか。私も後で考えてみたら“今朝(こんちょう)”つまり今朝(けさ)は,“土風激しゅうて”ひどい風で,“小砂”小さい砂がナ,“眼入す”目に入るってことらしいんだ」
八「はあ」
大「私も返答に困った。仕方ないから“スタンブビョウでございます”と返したよ」
八「何です。そりゃ」
大「脇を見たら,道具屋にたんすと屏風があったから,それを引っくり返したんだ」
八「そんなことを言ったって通じるもんか。リンシチリトクッて言わないと」
大「リンシチリトク?七輪と徳利かい」
八「そう。でも,そんな事ァいいですよ。もらいますとも。えッへへ,早くツラァ見てえな」
大「なんだ,ツラとは。まあ,お前が言葉がぞんざいだから,一緒になれば丁度よくなるだろう。そうか。ばあさん,決まったよ。日を見るから暦を持ってきておくれ・・・うゥとさ。いつにしよう・・・おやおや。八っつぁん,困ったな。当分,いい日がないよ」
八「隣へ行って別の暦を借りてきましょうか」
大「どこのだって同じだよ。どうだい,来月の十五日は日がいいけど,都合は」
八「来月の十五ン日?そいつァまずいなあ」
大「ッとなにかい,都合悪ィのかい」
八「いえ,あッしァ都合などないんだけどもね。えッへ,もらうもんなら早い方がいいんだい。どうだい,今夜あたり」
大「うふッ。どォする,ばあさん,今晩だとよ。えェ,きょうなら馬鹿に日がいいんだよ。それもそうだね。“善は急げ”ッてえこと言うから。そいじゃな,よォしッ。お前の望み通り今晩輿(こし)入れしようじゃないか」
八「腰入れ?腰もねえ,そりゃいるけどねえ,やっぱり顔を見ねえと情が移らねえんだけどなァ。腰だけもらってもしょうがねェ」
大「あたり前だい。すいかじゃあるめいし。じゃおばあさん,すぐ,むこうィ行ってくれ,ェえ?ああ“都合で今晩,婚礼(しき)を上げます”と。むこうは女でな,いろいろ仕度は長えだろうから,すぐ行っとくれよ・・・八っつぁんね,本来ならば,うちが仲人なんだから,おばあさんと二人でお連れするのが本当の話なんだ。うちはどうも二人っきりでいろいろ用もあるし,ことによるとあたしが一人でお連れするから,そこを勘弁しておくんなさいよ。それからな,隣のばあさんにお願いして,仕度してもらいな。おッと,待ちな,待ちな。こりゃあたしのほんの心尽しだ。身祝いだ。仕度の足しにしとくれ」
八「大家さん,なにかい,金はいってんのかい」
大「そうよ」
八「だって,あの,店賃(たなちん,家賃)の借り,三つたまってるんだィ」
大「お前さん,店賃は一生懸命働いて入れておくんなさいよ。雨露しのぐ店賃は。そりゃァあたしも遠慮なしに頂戴する。こりゃお前にあげるんだ」
八「ああ,そうですか。じゃ,これ返さなくていいんですね」
大「あたり前の話だよ」
八「どうもすィませんね。じゃ,遠慮なしに,これ頂戴しますよ。じゃ,待ってますよ。ごめんなさいましッ・・・はッ,ありがてえありがてえ。女房ォ世話してくれるッてんだからね。おおうッ,おばあさん,お早よッ」
【Act Ⅱ】
隣の婆さん(以下,隣)「八っつぁんかい。まだ仕事に行かないのかい」
八「うん,きょう休んだ」
隣「いけないよ。お前さん,仕事怠けちゃ」
八「えへッ,勘弁してくんなよ。今日かかァもらうんだい」
隣「なんだって。おかみさん貰う?誰が」
八「俺がだよ」
隣「あらッ。そんな話聞かなかったね」
八「家主が仲人でもってね,とんとんと話が決まってね。えッへへへ,今夜やって来るんだよ。生れが京都のお屋敷者,器量が十人並以上,言葉が馬鹿ッ丁寧ッてえのがね。どうもこのたびはおめでとうござんす」
隣「それはこっちで言うんじゃないかね。そォかい。何かお祝いしようか」
八「うォッと,そんな心配いらねえよ。心配はいらねえけどよ,頼みがある。これからね,ひとッ風呂浴びて,頭ァ綺麗にしてくるんだ。すまねえけど家の掃除から万事,仕度してくんねえか。やっぱり家主ァ話ィわかるね。“小言ァ言う,酒ァ買う”だ。いくら入ってるか知らねえけどよ,ほら,銭くれたよ」
隣「お金を放るもんじゃないよ。じゃこれ開けていいかい,ェえ?あらあら。これで十分に仕度が出来るじゃないか」
八「そうかい」
隣「あァあ,出来ますとも。第一,八っつぁん少し余るよ」
八「余る?こいつァありがてえな。じゃ余ったらそっくりおばあさんにあげるからさ,地所買って家でも建てなィ」
隣「なに言うんだい。この人は」
八「・・・どうもお世話さまッ」
隣「八っつぁんかい?おおゥ綺麗ンなった。早くお家ン中へ入ってごらん」
八「どうもお世話さま。よッこしょと。おっそろしい綺麗ンなりやがったね。これを言うんだな,“男やもめにウジがわく”ッてえのァ。やっぱり一軒の家ァ女がいなくちゃいけねえんだな。えェと,すっかりもう仕度が出来上がってんのか。うう寒び。火でもおこして一服しようかな。七輪をここィ出してと。火種を貰いに行くのゥ面倒くせえな。猫が出入りしてる壁ェ穴が開いてるよ。この穴へ十能(じゅうのう)突ッ込んで。お隣のおばあさん,すまねえ,火ィおこすんだ,これィ火種ェくんねえか」
隣「しょうがないねえ,そんなとッから十能ォ突き出しちゃあ。壁ェ落ちるじゃないかよ」
八「立つのァ面倒くせえんだよ。これかい,火種てえのァ。蛍の尻じゃねえかよ。もっと大きいやつを。あとで返すよ。うふふふ,おばあさん怒ってやがら。よッと。へへへッ,こうやって待ってる間が楽しみだな。今までは自分で火ィおこして飯の仕度よ。寝るんだってそうだい。寒いときなんぞォ,冷てィ膝をだっこして寝たんだけども,これからどんなに寒くッても,湯たんぽも炬燵(こたつ)もいらないね。仕事がすんで帰って来ると,どんなこと言やがんだろね。言葉が丁寧なんだから,入口へ両手をついて“お帰りあそばし”とくるよ。“ご飯の仕度しときますから銭湯(おゆ)ィいってらっしゃいませな”しゃぼん箱に手ぬぐい出してくれるよ。ひとッ風呂浴びて帰って来ると,そこは女房の働きだ。ちゃァんと燗徳利がつけてあるぜ。やがて飯ンなるね。お膳を真ん中へはさんでよ,“八寸を四寸ずつ食う仲のよさ”。かかァ向こうの俺こっち。俺の茶碗ァでかい五郎八(ごろはち)茶碗てやつで太え箸でもって,ざァくざくとかッ込むよ。タクアンのコウコを威勢よく,ばァりばりとかじるよ。かかァちがうぜ。朝顔なりの薄手の茶碗で,象牙の箸なら本寸法だ。口をおちょこにしてよ。綺麗な白い薄い前歯でもってポォリポリとかじンだろ。ポォリポリのさァくさく,さ。ふふふッ,俺のほうじゃ,ざァくざくのばァりばり。かかァのほうじゃ,ポーリポリのさァくさく。と今度ァ箸がお茶碗にぶつかってチンチロリンと合いの手が入るよ。チンチロリンのポーリポリのさァくさく。ばァりばりのざァくざく。チンチロリンのポーリポリ。ばァりばりのざっくざく。チンチロリンのさーくさく,ばァりばりのざァくざく!」
隣「なんだい,八っつぁん,どうしたんだい」
八「いえ,おまんま食うとこの稽古だよ」
隣「何をしてんだい。んな稽古することはないよ」
八「へへへ。ばばあ,やいてやんな。でもねえ,そう仲のいいことばかりありゃしねえからなあ。たまには夫婦ゲンカもしなくちゃなんねえやな。仕事から遅く帰るてえと“まあ,あなた,今日は大変遅うございましたが,どこかお楽しみでございましたか”なんてね。余計なこと言うな,男の働きだ。どう遅く帰ろうが俺の勝手だ。なんてんで一つくらいポカンと張り倒そうかな。ふふ,大人しいから泣くね。うう,うう,うううー,うーうっうっう!」
隣「八っつぁん,どうしたんだい。誰かいんのかい」
八「いえ,夫婦ゲンカの稽古」
隣「そんな稽古するやつがあるかい」
八「あ。ばばあ,穴からのぞいてやがら。さあいけねえ,俺の家はこれ一ト間ッかねえんだっけな。今夜ッからここへ枕ァ並べて寝ンねをすると,ばばァがちょいちょいのぞくと。あ,これ,いけねェ,なんか貼っちゃお。なんだ,ちっとも火ィおこらしねえじゃねえか。おばあさん,火がおこらないよ。ェえ,おこらないはずだ?七輪の口が向こう向いてる?あ,変だと思ったんだ。おっこしょッと」
【Act Ⅲ】
大「・・・おい,おい,八っつぁんや」
八「あッ,大家さんですか。どうも先ほどは」
大「うっかりしちまったがね,きょう町内に寄合いがあるんだよ。ちょっとこっちァ早いけどな。ひとつ先にやろうじゃないか。花嫁さんお連れしたよ」
八「へいッ,そこにいるんすか。荷物は?あとから届くんすか。戸袋の陰にいるんですか。ようよう待ってました」
大「なんてこと言うんだ。さあさあ,こちらへお入り。じゃいいかい,ほんの盃のまねごとだけだ。いや,おめでとう。まあ幾久しく添いとげとくれ。じゃ“仲人は宵の口”ッてこと言うじゃないか。あたしァこれでお開きにするからね」
八「大家さん,もう帰っちゃうんですか」
大「おいおい,よく覚えておきな。仮にもこういう場所なんだ。“出る”だの“引く”だの“帰る”ッてのァ縁起が悪いだろ。で,あたしが帰ることを“お開き”と言ったんだ」
八「と,帰らねえことは“おつぼみ”?」
大「“おつぼみ”とは言わないよ」
八「と,なんですか。大家さんがお開きンなっちまうと,あとは二人ッきりだい」
大「そうだよ」
八「あと,どォしたらいいんだろね」
大「これでまあ,盃は済んだんだ。お前のカミさんとなったんだから」
八「ええ」
大「お互い,自分の,ん,まあ,勝手にするがいいやな」
八「“勝手にするがいい”ッたって。困ったなあ,きまりが悪ィや」
大「お前,きまりが悪ィてえガラかい」
八「だってね,初会だからね」
大「馬鹿め,初会てえのあるかい。長屋の近づきはな,明日ばあさん連れて歩くんだからな。こういうがらくた者なんだよ。ひとつよろしく頼みますよ。はい,ごめんよ」
八「行っちゃったよ。もうこれでいいのかい。あっさりしてやんだな。あッ,どうぞその座布団を,まあ座布団敷いておくんなさいよ。しっくり返してさ。いや,家に座布団一枚ッかないんですよ。そのうちにねえ,仕事の帰りにお前さんが敷く赤ェやつを買って来ますから,それまで我慢してね,いいから,いいから敷いておくんないよ。今帰ったおじいさん,あれ親類なんですって?うちの家主でねえ,あっしァ親父の代からご恩があるんですよ。まあ,こっちの話もいろいろ聞いたでしょうけどもね,縁あって,まあうちィ来たんだ。こんな汚ねえところだけどよ。あっしだってね,いつまでこんな所ィとぐろまいちゃいねんだ。そのうちにねえ,一生懸命かせいでよ,表通りへ出る算段はしてえるんだがね。まあそれまでねえ,なんか不自由で気に入らねえこともあンだろうけどよ。お互いさまにね,ケンカしねえように,末永くよろしく,ゥヘッヘヘ,お願えしますよ」
嫁のお清(以下,清)「せんぎょくせんだんに行って,これを学ばざれば,金たらんと欲す」
八「始まったッ,コンチョウが。“金太郎干す”ゥ?家にねえんだけどもね。実はね,あッしもそそっかしいが,大家(じい)さんもそそっかしいんだよ。歳は二十五ッて聞いたんだよ。かんじんの名前聞くの,うっかりしちゃったんだ。名前ぐらい言っとくもんだね,ねえ。あッしは田中,八五郎ッてんスがねえ。あの,一体あんた,名前なんてえンです」
清「自らことの姓名を問い給うか」
八「いえ,家主が清兵衛ってのは知ってますが,あなたさまのお名前を願いたいんで」
清「自らことの姓名は,そもそも我が父は京都(きょう)の産にして,姓は安藤名は慶蔵,字(あざな)を五光。母は千代女と申せしが,三十三歳の折,一夜丹頂鶴(たんちょう)を夢見,わらわを孕(はら)めるが故にたらちねの胎内を出でしときは,鶴女鶴女と申せしが,それは幼名成長ののち,これを改め,清女と申しはべるなり」
八「それ,あなた一人の分ですか。すみませんがねえ,今のをみんな紙に仮名で書いておくんなさい・・・どうも。うひー,こりゃ長えや。えぇ,ミズカラコトノセイメイワ,ソモソモワガチチワキョウノサンニシテ,セイワアンドウナワケイゾウ,アザナヲゴコウ。ハハワチヨジョトモウセシガ,サンジュウサンサイノオリ,イチヤタンチョウヲユメミ,ワラワヲハラメルガユエニタラチネノタイナイヲイデシトキワ,ツルジョツルジョトモウセシガ,ソレワヨウミョウセイチョウノノチ,コレヲアラタメ,キヨジョトモウシハベルナリ・・・チーン。お経だよ。どうも,驚いたな。これじゃひとッ風呂浴びて来ようって時でも大変だよ。おーいミズカラコトノセイメイワ,ソモソモワガチチワキョウノサンニシテ,セイワアンドウナワケイゾウ,アザナヲゴコウ。ハハワチヨジョトモウセシガ,サンジュウサンサイノオリ,イチヤタンチョウヲユメミ,ワラワヲハラメルガユエニタラチネノタイナイヲイデシトキワ,ツルジョツルジョトモウセシガ,ソレワヨウミョウセイチョウノノチ,コレヲアラタメ,キヨジョトモウシハベルナリ,手ぬぐいを取ってくんな。湯が終わっちまうよ。まあいいや,習うより慣れろだ。寝ることにしよう」
【Act Ⅳ】
清「・・・あァら,わが君。あァら,わが君」
八「んん,もう朝かい。なんだ,まだ夜中だよ。あァあ,眠いなあ」
清「いったん偕老同穴(かいろうどうけつ)の契りを結びし上からは,百年千歳(ももとせちとせ)とも君,心を変わらせたもうことなかれ」
八「え,カエルがどうかしましたか。ネズミはいるかも知れないんですがね。また明日にしておくんなさいな」
清「あァら,わが君。あァら,わが君」
八「へいへいへい,今度は朝か。いやもっと寝坊してもかまわねえんだよ。ん,わが君?おい,わが君ッての,俺かい。うははッ,こりゃ驚いたな。なにか用かい」
清「白米(しらげ)の在処(ありか)はいずれなるや」
八「えェ。俺,今まで独り者でも洗濯だけはちょいちょいしたつもりなんだけどもなあ。シラミなんぞいねえはずだけど」
清「私(みずから)が尋ぬる白米(しらげ)とは米のこと」
八「あ,米をシラミてえのかい。色が白くて小っちゃいからかい。じゃ麦はナンキン虫てえのかい。あの隅っこにあるだろ。みかん箱が。ううゥん,それそれ。それ家の米びつなんだ。頼むよ。ぐう」
振り売り(以下,商)「えェェえ,ネギやネギ。ネギや岩槻ねぎ。ねぎやねぎ。あァ,ねぎやねぎ」
清「のうのう,門前に市をなす賤(しず)の男(おのこ)。おのこやおのこ」
商「へえ,お早うごぜえます。ちょっと風邪をひきまして熱がありますんで,のこのこしてえるんですがね。あのゥ,お呼びなんですか」
清「その方がたずさえたる鮮荷(せんが)のうちの一文字草(ひともじぐさ),一束(ひとつかね)価(あたい)何銭文なるや。おつけの実にせんとぞ思う」
商「大風なカミさんだな。これ,あの,おかみさん,ねぎッてえもんなんですが,これ一束(いちわ)五百文なんで」
清「なに五結(ごけつ)とや。召すや召さぬやわが君にうこごう間,門の石根(せきね)に控えていや」
商「へえェへえェッ。てッ,なんだい,この家ァ。モンノセキネとやらに犬のフンが落ちてんじゃねえか」
清「あァら,わが君。あァらわが君」
八「あァ,眠いな。また起こすのかい。ェえ?さあ弱った。言葉がわからねえ。なんか買うのかい。銭がいるのかい。そこィぶら下っている,腹掛けのどんぶり。おおッと,もっとこっちだい。それが腹掛けッてんだ。隠袋(かくし)が有んだろ。それがどんぶりッてんだい。そん中ィ銭が入っているから,買ってくんねえか。それからねえ,勘弁してくんねえな。その“わが君”てえの。友だちが遊びに来てね,いまに“わが君の八っつぁん”てえアダ名がついちゃうからよ。まあ,すまねえ。ゆっくり寝かしてくんねえ。ぐうぐう」
清「あァら,わが君。あァら,わが君」
八「あァあ。またはじめたよ。しょうがねえな,寝つくと,わが君わが君って。一体,今度は何の用があるんだい」
清「もはや日も東天に出現ましませば,早々ご起床召され,嗽(うがえ)手水(ちょうず)に身を浄(きよ)め,神前仏前に御灯明(みあかし)な供えられ,ご飯召し上がってしかる可(びょう)存じたてまつる,恐惶謹言(きょうこうきんげん)」
八「うふッ,飯を食うことが恐惶謹言?じゃあ酒を飲んだら“酔って〔仍って〕管(くだん)〔件〕の如し”か」