本編

【Act Ⅰ】
八五郎(以下,八)「こんちは」
隠居(以下,隠)「八っつぁんじゃねえかい,どうしたい,お上がり」
八「今ねえ,そこの横丁で聞いてきたんす」
隠「何を」
八「隠居んとこにタダの酒があるっての」
隠「そら聞き違いだなあ,灘の酒って言ったんだろ」
八「灘?俺タダって聞いちゃったよ,ナダ,タダ。大して変わらねえや,一杯飲ませろ」
隠「飲ませろってえ口の利き方はないよ。酒の一杯でもご馳走になろうなんてえには,遊芸の一つも出来ねえといけねえな」
八「ドロドロって出ていくの」
隠「ありゃあユーレイだよ,ユウゲイ!例えばだよ,踊りなんぞ踊れるかい」
八「だめだ,俺はどうも踊りってえのはねえ,ああいうものをやると目が回っちゃうから」
隠「じゃあ,三味線なんか弾けるかい」
八「弾けねえな,車なら引くけどな」
隠「唄は歌えるかい」
八「どうも喉がよくねえんだな俺は」
隠「じゃあ碁,将棋は」
八「じれったい」
隠「じゃあ何にも出来ねえんだ」
八「お陰さまで」
隠「出来ねえでお陰さまってのがあるかい。じゃあまあ,仕方がない,お世辞の一言も言えねえといけねえなあ」
八「何でえ,そのお世辞ってえのは」
隠「向こうの人を持ち上げるんだよ」
八「持ち上げるの?あんまり大きな奴はいけねえけどねえ,普通の人間だったらあたしゃあ力があるから」
隠「いや,手で持ち上げんじゃない」
八「どこで持ち上げんの」
隠「口で持ち上げる」
八「口で?後ろへ回って襟首くわえて」
隠「何つったらわかるんだい,仮にだよ,表でしばらく会わない人にバッタリ会ったとする,やさしく声を掛けるな。こんちは,しばらくお目に掛かりませんでしたがどちらかへおいでになりましたか。向こうでもって商売用で下の方へとでもおっしゃったら,道理でたいそうお顔の色がお黒うございます,あなたは元が白いから,土地の水で洗えば直に元通りになりましょう,ご安心なさいまし,そういう風に一生懸命においでになっておりますれば,お店のほうはご繁盛,従って旦那の信用は厚くなる,誠におめでたいことでございます,てんで」
八「へえ,そう言えば一杯おごるかい」
隠「おごるな」
八「おごんなかったらお前さん立て替えるかい」
隠「立て替えやしねえ,おごんなかったら仕方ないからここで,奥の手を出すな」
八「奥の手って,喉から手ェ出すの?」
隠「いや,向こうのねえ,急所をつかむんだよ」
八「いきなり!」
隠「何つったらわかんだよ,このねえ,向こうのどてっ腹をえぐる」
八「出刃包丁か何かで?」
隠「いや,口でえぐる。何だよ,まあ,早い話が歳を聞く。えー,誠に失礼なことを伺うようでございますが,あなたのお歳はお幾つで。向こうでもって四十五だとおっしゃったら,四十五にしちゃあたいそうお若く見えます,どうみても厄そこそこでございましょう」
八「へえ,それで一杯おごるか」
隠「大抵おごるよ」
八「へえ,そんなこと出来ねえこたないよ」
隠「やってごらん,違ってたら直してやるよ」
八「向こうから人が来たら聞いてみりゃあいいんだよ,ね。こんちはっと,しばらくお目にぶら下がりませんと」
隠「何だいぶら下がるっての,掛かるだよ」
八「掛かったってぶら下がったって大して変わんねえや」
隠「大して変わんねえって,掛かるでおやりよ」
八「そうすか。こんちは,しばらくお目に掛かりません,どちらの方へずらかって」
隠「おいでになって」
八「ああ,おいでになっておりましたか,向こうでもって商売用で下の方へつったら,道理でてえそうツラが真っ黒だと」
隠「何だい,ツラってのは,お顔の色がお黒くなったって丁寧に言いな」
八「お顔の色がお黒くなった,あんたなんざ元が黒いから」
隠「いや,元が白いから」
八「元が白いから,土地の水で洗えば直に元通りにならあ,安心しろ!」
隠「安心なさいましと丁寧に」
八「安心なさいまし。それでおごんなかったら,ここんとこで,向こうのどてっ腹えぐっちゃう」
隠「やってごらんよ」
八「誠に失礼なことを伺うようでございますが,あなたの歳はお幾つで,向こうでもって四十五だったら,四十五にしちゃあてえそう若え,どう見ても百そこそこだと」
隠「何だい,そのヒャクってえのは」
八「百じゃないの」
隠「厄だよ」
八「厄?」
隠「四十二が男の大厄,向こうが四十五だってえの,四十二だって言うから,まあ,三つ若く言うんだな,一つでも若く言われて,やな気持ちのする者はない,一杯ぐらいはおごる」
八「なーるほど。おメエさん,ツラはまずいけど言うことはうまいね」
隠「それが,余計なことだってんだ」
八「だけど,こいつぁ,うまくいかないよ」
隠「どうして」
八「うまく四十五が来てくれりゃあいいよ,五十が来たらどうすんの」
隠「四十五,六とでも言っときな」
八「ほう。六十が来たら」
隠「五十五,六」
八「七十が来たら」
隠「六十五,六」
八「八十が来たら」
隠「七十五,六」
八「九十が来たら」
隠「その順でやんなよ」
八「順がわかんねえから聞いてんじゃねえかい,これまで教えてその先教えねえなんて,そんなコスイ話があるかこんちくしょう,教えねえんなら教えねえでいてみろ,家に火ィつける」
隠「危ねえなどうも,まあ,九十だとおっしゃったら八十五,六だな」
八「続いて一足」
隠「何だい,イッソクってのは」
八「百の符牒さ」
隠「人間の歳は百歳」
八「白菜」
隠「ハクサイじゃない,ヒャクサイ。ま,めったにそんなに生きる方ァないが,まあ,九十五,六とでも言っとくんだな」
八「二百で」
隠「そんなに生きる人ァないよ」
八「あ,ついでだからもう一つ聞くんだけど」
隠「何だよ,ついでってえのは」
【Act Ⅱ】
八「あっしの隣りの竹んとこへね,赤ん坊が生まれちゃってね,晦日みそか)前の苦しいところを,長屋中の付き合いだとか何とか言いやがって,銭集めに来やがって五十銭取られちゃったんだ,悔しいから一杯飲みにいってやろうって思ってんだよ,みんなね,うめえこと言っちゃおべっか使って一杯ご馳になるんだけどね,俺そんなとこ行って口利いたことはねえだろ,やっぱり赤ん坊褒めんのも,しばらくお目に掛かりませんでした・・・」
隠「そんなこと言う人はない,竹さんとこのおかみさん,お腹が大きいと思ったら赤ちゃんがお生まれになすったかい」
八「お生まれなすっちゃってね,こっちは五十銭ずつふんだくられなすっちゃった」
隠「何だよ,ふんだくられなすったってのは。まあ,あたしは竹さんところのお子さんは,見たことはございませんけど,紋切り型ってのは決まってるよ。まあ,普通の挨拶でいくんだな」
八「何でえ,その普通の挨拶ってえのは」
隠「まあ,いいお天気だったら,こんちはいいお天気でございます。やなお天気だったら,こんちはうっとうしいようなお天気でございます。承りますれば,こちらさんにお子さんがお生まれだそうで,おめでとうございます,と言って中へ入って,赤ちゃんを見せてもらって,たいそう良いお子さんでございます。おじいさんに似ておいでになってご長命の相がおあんなさる。栴檀は双葉より芳しく,蛇は寸にしてその気を現す,どうかこういうお子さんにあやかりたい,あやかりたい」
八「へえー,それいっぺんに言うの」
隠「だんだんに」
八「こんちは,いいお天気のようなうっとうしいようなお天気でござんす」
隠「いいお天気ならいいお天気でおやりよ」
八「そうっすか,こんちは,いいお天気でござんすと,うけ,うけた,まがりますれば・・・」
隠「いや,承りますれば」
八「ああ,承りますれば,うん。こちら様にお子さんがお生まれだそうで,どうも,ご愁傷さま」
隠「おめでとうございますって」
八「ああ,おめでとうって,中へ入って赤ちゃん見せてもらって,どうも,たいそう,たいそうよい,よい,よい,良い子でござんす。洗濯は」
隠「いや,栴檀
八「ああ,千段の石段は愛宕山よりまだ高い,蛇は寸にしてミミズを飲む,どうかこういうお子さんに蚊帳(かや)吊りたい,蚊帳吊りたい」
隠「まるっきり違うよ」
八「これだけ覚えれば用はねえんだよ,また来るよ」
隠「まあ,一杯つけるから」
【Act Ⅲ】
八「そんなの飲んだらいま覚えたの忘れちゃうよ。俺,忘れねえうちにどっか行って,やっつけてくっからさ,また来る,さよならっ・・・どうもうめえこと覚えちゃったね,しばらくお目に掛かりませんでしたがってんでね,一杯おごらせることを覚えたって,ううん,誰か来なくっちゃいけねえな,おっ,来た,来た,向こうから色の黒え野郎が来やがったねえ,どっか海なんか行ってきたのかなあ・・・こんちは」
○「こんちは」
八「しばらくお目に掛かりません」
○「失礼ですけども,あたしはあんたに会ったことがないような気がする」
八「そうそう,そう言えば俺もこんちくしょう見たことないよ,たいそうツラが真っ黒で」
○「大きなお世話だい!」
八「行っちゃったよ,ああ,丸っきり知らねえヤツはダメなんだなあ,知ってるヤツァ来ねえかなあ。あっ,来た,伊勢屋の番頭,おーい!番頭さーん」
番頭(以下,番)「いよー,これはこれは町内の色男!」
八「あれ。向こうで持ち上げてんね・・・へへ,こんちは!」
番「ああ,こんちは」
八「しばらくお目に掛かりません」
番「夕べ床屋で会ったよ」
八「床屋で会った,変なところで会っちゃったね,それから,ずっとしばらく」
番「変だね,どうも。今朝,湯で会ったよ」
八「よく会うねえ,じゃ,こないだ中はちょいと」
番「おお,商売用で上(かみ)のほうへ」
八「上?俺が聞いてきたのは下だよ,上下込みでやっちゃお,道理でたいそう・・・ツラが真っ黒で」
番「そんなに黒い?」
八「黒い,真っ黒,どっちが前だか後ろだかわからないよ。でも,そういう風に一生懸命においでになっておりますれば,お店のほうはご繁盛,従って旦那方の信用は厚くなると,つけ上がって帳面ヅラごまかすな」
番「おい,やだよ」
八「どうでえ,一杯おごるか」
番「おごらないよ,そんなこと言われて」
八「おごらない?おごらないの。いいよ,こっちは奥の手ってえのがあるんだから,ドテッパラえぐっちゃう」
番「おい,危ないよ」
八「えー,誠に,誠に失礼なことを伺うようではございますが」
番「あらたまって何聞くんだい」
八「あなたの御歳はお幾つで」
番「どうも,往来の真ん中で歳を聞かれると,めんぼくないね」
八「何?」
番「歳を聞かれると,めんぼくないってんだよ」
八「世の中にめんぼくないって歳があるか。野郎,ごまかすな」
番「ごまかしやしねえ」
八「白状しろ」
番「何だい,調べられてるみたいだよ,イッパイですよ」
八「イッパイ?バケツに?」
番「バケツ?だからこれだけ」
八「四つか」
番「四つだってよ,ずっと上だ」
八「四百!」
番「その間で四十だよ」
八「四十。四十にしちゃあたいそう・・・ありゃ,四十五から上ずっと聞いたんだ,下聞くの忘れちゃった,番頭さん,年回りは悪いよ」
番「どうして」
八「見てるうち影が薄くなる」
番「おい,変なこと言うなよ」
八「すまねえけど四十五になってくれ」
番「なってくれって,勝手になれるかい」
八「なれるかいって,四十五だって言ってくれりゃあいいんだよ」
番「そうかい,じゃあまあ四十五だ」
八「四十五にしちゃあ,たいそうお若く見えます」
番「当たり前ですよ,ほんとは四十だから」
八「どう見ても厄そこそこだ」
番「何を言ってるんだい!」
【Act Ⅳ】
八「殴ってきやがった。あ,そうか,向こうが四十だってえの,お厄だって四十二で二つ余計言っちゃったんだ,ダメだこりゃあ,大人は逆らいやがって,赤ん坊にしよ。赤ん坊なら逆らわねえしな,殴られるような気遣いはねえ,第一こっちは五十銭取られてんだ,木戸銭払ってるようなもんだな,よし,竹んとこ行ってやろう・・・ここだ。こんちはー」
竹「よう,こないだは,義理貰ってありがとう」
八「いえ。う,うで,うでたまご」
竹「持って来たのか」
八「いや,あの,あったら食いたいと思って」
竹「うちにそんなものないよ」
八「うけたま,うけたまりまが,まが,まがり,受け取りをすれば」
竹「承りますればってえんじゃねえのか」
八「あっ,そうそうそれから何てんだ」
竹「お前さんが言うんだよ」
八「あ,そう,俺が言うんだ。こちら様に,お子さんがお生まれだそうで,どうもお気の毒で」
竹「何を言ってやんだい,こっちゃあ,めでてえって喜んでんだい」
八「ああ,そうか」
竹「おめえ何しに来たんだ」
八「あの,赤ん坊を褒めに来た」
竹「赤ん坊を褒めに来たんなら,そこで何か言ってねえで,上がれよ,こっち奥に寝てるから,見てくれ」
八「お,どうも,ご免よ,俺ね,赤ん坊褒めさせると一人前なんだ,あの,この屏風の中かい。そうかい,ほう,大きいねえ」
竹「大きいだろ,うん,取り上げ婆さんもそう言ってたよ。大きいってんでね,ウチ中で喜んでんだよ,大きく生んだほうがいいんだってよ」
八「どうも,大き過ぎたなあ,じいさんに似てるねえ」
竹「血筋は争えねえもんだな,よくじいさんばあさんに似るって言うじゃねえか」
八「そっくりだねえ,この頭のハゲ具合ねえ,皺の寄り具合ねえ,歯の抜け具合。え,いや,あの,このねえ,どうも,よく似てるねえ,そっくりだ」
竹「そりゃあ親父だよ,今朝から頭が痛えって寝てんだよ」
八「ああ,そうかい,じいさんかい,あんまりそっくりで変だと思ったよ。赤ん坊にしちゃあひねこけちゃって,第一,赤ん坊が入れ歯はずして寝てるわけはねえな」
竹「当たり前だよ,その向こうだよ」
八「ああ,このケットーに包まってんのかい」
竹「そりゃあお鉢だよ」
八「お鉢かい」
竹「その向こう,そこに居るだろう」
八「あっ,こんなとこに落っこってやがった」
竹「落っこってって,寝かしてあんだよ」
八「小せえなあ。こりゃ育つかな」
竹「何を言ってやがんだい」
八「はあ,こりゃ何だか人形みてえだな」
竹「うまいこと言うねえ,おめえだけだ,人形みたいだって言ったのは,こないだ,留公のヤツ来やがってねえ,サルのようだなんつって行きやがったよ。どこが人形みたいに見える?」
八「見えやしないよ,お腹を押すとキュキュッて泣くよ」
竹「おい,よせよ,壊しちゃうよ」
八「かわいい手してやがって,もみじみたいな手だねえ」
竹「うめえこと言うねえ,おめえだけだよ,そのもみじみたいな手だって」
八「小さいねえ,こんな小せえかわいい手で,よく俺たちから五十銭ずつ取ったな」
竹「赤ん坊が取ったんじゃないんだよ,俺が貰ったんだ。いいよ,おめえにだけ返すよ」
八「返さなくったっていいんだよ。俺はこの子を褒めてんだ」
竹「だから褒めておくれ」
八「えー,あたくしは,竹さんとこのお子さんは見たことはございませんけど」
竹「そこで見てんじゃねえかよ」
八「ああ,これはあなたのお子さんですか」
竹「俺の子だよ」
八「ああ,そうかい,えー,おじ,おじ,おじいさんを焼いて」
竹「焼いて?」
八「ふかしてか。蒸して。似てだ,おじいさんに似て,何でも煮てか焼いてだと思った。お,おじいさんは煮ても焼いても食えねえ」
竹「当たり前だよ」
八「ご,ご長命丸(ちょうめいがん)に,仁丹に,清心丹(せいしんたん)に中将湯(ちゅうじょうとう)の相がござんす。洗濯は二晩で乾くでしょう。蛇は寸にしてミミズを飲む,どうかこういうお子さんに蚊帳吊りたい首吊りたいってんだ,どうでい,わかったか」
竹「さっぱりわからない」
八「俺にもわからないんだがね,どうも,こんがらがっちゃったね,こりゃ。相手は赤ん坊だ,殴られる気遣けえはねえや,やっつけろい。しばらくお目に掛かりませんでしたがね,どちらの方へおいでになりましたか?下の方へ?道理でお顔の色が・・・赤いね。一杯飲んだのか」
竹「赤けえから赤ん坊っていうの」
八「ああ,赤けえから赤ん坊,黄色けりゃあ黄だんだ。そういう風に一生懸命においでになっておりますれば,お店のほうはご繁盛,従って旦那方の信用は厚くなる,誠におめでたいことでございます。どうでえ,うまくいったろうおめえ,こんなうまくいくとは思わなかったなあ,何とか言えよ,おめえ,おごれよ,おい,一杯飲ませろ,何とか言えよ」
竹「おめえ,その子は何にも言わないよ」
八「何にも言わないの」
竹「まだ生まれて七日目だよ」
八「おー,初七日か」
竹「お七夜ってんだよ」
八「お七夜ね,ときに竹さん,このお子さんはおいくつで」
竹「赤ん坊の歳聞かなくてもわかってんだろう。まあ,一つだなあ」
八「へえェそれはまたお若く見える」
竹「よせよ,一つで若けりゃいくつに見えるんだい」
八「どう見てもタダでございます」