本編

【Act Ⅰ】
大家「なんだい!なにか気に入らないのかい。別にいいんだよ。こっちは何もお前さん方に無理にここにいてもらおうってんじゃねえんだ。借り手はいくらでもいるんだからね。文句があるなら出てっとくれ!」
源兵衛(以下,源)「・・・どうでもいいけど杢(もく)さん。あの家主くらい,忌々しいってのはないね」
杢兵衛(以下,杢)「ああ,さっきもなんだか怒鳴ってたねえ。俺もあの家主が嫌いなんだよ。こっちがシタテに出れば偉そうに見下してるんだい。どしたの。さっき何かあったのかい」
源「いや,俺も悪かったんだよ。うん。ありゃ俺に言ってたんだ。こねえださ,女房に頼まれて菜漬けの樽を八百屋からもらってきたんだよ。うん,でまたさ,カカァももらってきたらすぐそっちに漬けかえりゃいいのに不精だからやらねえんだ。あたらしい樽がそのままんなっちゃった。うちは狭いから中に置けないよ。だからさ,ほら,長屋に一つ空きがあるじゃないか。そこへね,こう,入れといたの」
杢「うん」
源「そしたら今日さ,家主が来て見つけやがったんだよ。“何だいこりゃ。ええ?何だいこりゃッ”って叫んでるからさ,行ったらすごい剣幕なんだよ。“なんだいお前さんは。ばかな真似しちゃ困るよ!ろくに店賃も払ってないくせに。その上まだここを使おうってのかい。ここはお前さんの物置じゃないよッ”・・・小言ってのは言いようがあるもんだよ。確かにこっちも悪い。けどみんなに聞こえよがしに声を張ることはねえじゃねえか。こっちだって悔しいから,よっぽど毒づいてやろうと思ったよ。けどさ,タナ立テ食わされちゃ合わねえだろ。追い出されちゃ女房もガキだっているよ。だから我慢しちゃったんだが,どうしても腹の虫がおさまらねえ」
杢「うーん」
源「そこでさ,その一つ残ってる空部屋だけどさ,あそこにも人が入ったら,ますます家主の野郎も増長しやがると思うんだがさ」
杢「そうだろうなァ」
源「だから,なんとかしてあそこにもう人が越して来ねえようにしちゃいてえんだけど,どうすりゃいいかわからねえ。杢さん,お前さん年長者だし知恵者だから何かいい方法ないかねぇ」
杢「なるほど,へへ,面白いねえ。知恵者てほどじゃないけれども。うーん。そうだな,あそこィ人が入らないよ・・お・・・にと,うん?そうだ。源さん,お前さんの家は,あの空部屋の向かいだったね」
源「そうさ」
杢「それじゃ,あの空部屋のことで聞きに来る奴がいるかい」
源「のべつだよ。俺ァそのたんびに家主の所を教えてやるんだから。まだ決まってねえようだけど」
杢「だからさ,次から家主の所教えないで,あたしん所へよこしとくれよ。差配(管理)人だとかなんとか言ってさ」
源「いいけど,どうするの」
杢「うん。来たらさ,あたしがうまい具合に話をして追い返してやるよ」
源「できるかい?」
【Act Ⅱ】
男「ゲホッ・・・あのォ。ごめんくださいまし」
源「はいッ。はいッ。ちょっと待って。はい,何でござんしょ」
男「いえ お忙しい所,まことに失礼なのでございますが,お向かいの貸家はまだ借り手は決まっておりませんでしょうかな」
源「ええ,まだだと思いますよ。札も取れてないようだからね」
男「そうですか。ご親切にありがとうございます。それともう一つ,あちらのお家主様のお宅はどちらでございましょうか」
源「オヤヌシサマ?ああ。お家主様ね。うーん,実はお家主様なんだけどもねェ,少し遠方にいるお家主様なんですよ」
男「はあ,遠方で」
源「いえ,心配するには及ばないですよ。家主の代わりにあそこを管理してる差配人がね。すぐ近くにいますから」
男「なるほど安心しました」
源「この先に柳の木があるでしょ。あの家がそうですよ。杢兵衛さん。この長屋に一番古くから住んでるから“古ダヌキ”の杢兵衛さんなんてね。呼ばれてますよ。そこへ行って聞いてごらんなさい」
男「そうですか。ありがとうごさいました・・・あの・・・ごめんください。古ダヌキの杢兵衛さんのお宅はこちらでしょうか」
杢「驚いたね。あたしは陰で古ダヌキって呼ばれてんのは知ってるよ。言葉が丁寧なのはいいが行き届き過ぎてるね・・・はいはい,あたくしが杢兵衛ですが,何かご用ですか」
男「はい,どうもおそれいりますが路地口の貸家のことでうかがったのですが」
杢「あ!貸家ね。はい。何でもね,お答えしますよ」
男「あの,間取りはどのくらいで」
杢「ええ。六畳と三畳です。庭もありますよ。また陽当たりがよくてね」
男「はあ,結構ですな。それから,畳だのふすまといった造作のほうは」
杢「造作ね,全部ついてるんです」
男「ますます結構で。あの,敷金はどのくらいでしょうか」
杢「あ,敷金ね。うーん,無し」
男「無し!いやッ,それは助かります。ただしお家賃が高いのでございましょうかな」
杢「店賃ですか。えー,そう,まぁあなたが払いたいと思えば払えばいいし,払いたくないと思えば払わなければいいし」
男「へぇ?ということはタダでございますか」
杢「はい」
男「そんな結構な貸家がタダだなんて・・・何かワケがあるのでは」
杢「そうねぇ。まあ,このせちがらい世の中であれだけの家をタダ貸そうと言ったら,そりゃ怪しまれても仕方ないですがね。いや,実はね,あたしだって,その,出来れば話したくはないんですよ」
男「私も不安ですので,どうかお聞かせ願います」
杢「はあ,わかりました。越してから,なぜこのことを先に教えてくれなかったんだと恨み言をいわれるのも困りますから,話をいたしましょう。ま,そこでお立ちになったままでは何ですから,どうぞこちらへ,ひひひ,お上がんなさい」
男「そうですか。え,ではちょっと失礼を」
杢「あそこはね,今を去ること三年ばかり前,二十五,六になる後家さんが一人で住んでいてね,器量はいいし,仕立物はできる。働き者でしてね。気取らず愛想もいい」
男「へえ」
杢「そんなだから,ご近所の評判もいい。ところがよくいいますね,“女やもめに花が咲く”。近所の人で“あたしと一緒になりませんか”なんて男が幾らもいたんだが“男は先の亭主でこりごりでございます”と断ってしまう。それでも何とかしたいって男共がね,せめて家賃だけでも払うだの色々言うけれども,まるっきり浮いた噂がない。物堅い人でしてね」
男「へぇ,へぇ」
杢「花嵐の頃だね。ひどい雨の降る晩があって,おかみさんの家に泥棒が入ったんです」
男「それはご災難で」
杢「物を盗って風呂敷に包む。さあ出て行こうという時に,寝ているおかみさんが目に入った。器量がいいもんだからムラムラっときましたよ」
男「はー,そうですか」
杢「背負った荷物を下ろして,おかみさんに触る・・・」
男「じ,実に太い奴で」
杢「あまり細い了見の泥棒はいませんがね。おかみさんが気づいてハッと目を開ける。雲を突くような大男。“キャーッ!”と大声を上げる。さあ泥棒だって我が身が怖い。ノンでいたアイクチを抜く。おかみさんが逃げる。髪の束(たぶさ)を掴んで引いといてズブッと突いたのが乳の下。これがいわゆる致命傷」
男「グッ,ん゛,た,大変なことになりましたな」
杢「おい,お前さんも胸を押さえてるけど大丈夫かい?おかみさんは虚空をつかんでバッタリと倒れる。泥棒はどこかへ消えてしまう。次の日になると,いつもは朝早いおかみさんが一向に起きてこない。近所の人が不思議に思って中を見ると・・・」
男「す,すごいことになってますか」
杢「お前さんが先を言わないでおくれよ。ええ,あたり一面血の海だ。身寄り頼りのない人ですから,長屋中で弔いをしました」
男「そうですか」
杢「それからなんですよ。あの家に人が入らなくなったのは。きれい掃除をしてまた貸家の札を貼る。さあ,越してきた人達はまず三日そこらで出て行ってしまう」
男「どういうわけなんです」
杢「あたしも不思議に思いましてね。最後の人に聞いてみたんです。それで知って,いや驚きました」
男「何て言ってたんです」
杢「・・・越してきて一日,二日は何ともない。三日目になりますと,宵の内は賑やかだが,夜が更けるにつれて世間はシーンといたします」
男「はぁ,なるほど」
杢「いずこで打ち出すか遠寺の鐘が,陰気でゾッとするような音でボーーーンと鳴ります」
男「は,は,はぁ」
杢「そして仏壇のリンがチーーーン」
男「だ,誰が鳴らすんです?」
杢「ひとりでに鳴る。すると縁側の障子が・・・スルスルスルスルッと開く。そこから生温かい風がヒューーー」
男「わかりました。そういうことでしたら私もちょっと他の所を・・・」
杢「まあ,お待ちなさい。さあ,殺されたはずのおかみさん,髪をおどろに乱してスゥーーッと入ってくるよ」
男「・・・」
杢「寝ている人の所へ血だらけの顔を近づけてね・・・ケタケタッと笑う」
男「ひッ」
杢「“まあ,よく越しておいでですねぇぇ”と言いながら,冷たい手で寝てる人の顔をこーうやって」
男「ギャーーーー!!」
杢「うわッ。おい!お前さん!あ・・・どっか行っちゃった。驚いたね。こっちが驚いたよ。座ってるトコから一尺ばかり跳んだよ。あんな臆病な人も珍しいな。ああごみ箱を蹴っ飛ばしてったから散らかったちゃったよ。あれ?がま口だ。落として行ったんだ。下駄もそのままだよ。ふふ,こんな儲けがあるとは思わなかった。もらっておこう」
源「杢さん。さっきの人が今,青い顔して出て行ったけど,どうしたの」
杢「うん,怪談噺だよ。俺ァ寄席が好きだろ。で,こないだ聴いたのをそのまま真似してみたんだよ。しまいに,幽霊が顔をなぜるってトコで俺が濡れた雑巾であいつの顔をなぜてやったら跳び上がって逃げちゃった」
源「へえ,うまくやったな」
杢「見たらね,あいつ,がま口を落として行ったんだよ。後でこれで弥助(寿司の別名)でもとろうよ」
源「そうかい。ありがたいねえ。じゃあ,他のが来たらまたこっちへ寄こすから頼むよ」
杢「いいとも。こうなりゃ独演会だよ」
【Act Ⅲ】
職人風の男(以下,職)「まっぴらァごめィ!ッぴらァごめィ!」
源「・・・なんだい。大声で何か言ってる人がいるけど,うちに用かなあ」
職「おうッ。誰もいねえのかあ?心中でもしたのか。アバラカベッソン!」
源「アバラカベッソン!・・・はいッ。はいッ。ただいま行きますから」
職「いるんじゃねえか。なら早く出て来やがれ。このベケンヤめ!」
源「なんですよ。あ,あたくしの名前は」
職「“あたくし”ってツラじゃねえんだ。お前ェなんぞ。鰯のカタクチみてえなツラしやがって」
源「な,何かご用があるから来たんでしょう」
職「おお!そうだ。ご用。ご用なんだよ。向かいの貸家はまだ空いてんのか」
源「ええ,空いてます」
職「おうッ。じゃあ家主のトコを教えやがれ。ええ,グズグズするねい」
源「グズグズしませんけれど・・・家主がちょっと遠方でして」
職「遠方?遠方ったって日本だろ?外人の住家じゃねえんだろ」
源「ガイジンノスミカ!?いえ日本ですけれど。その。代わりにこの長屋を管理している差配人が近くにいますから」
職「ふーん」
源「あの柳の木がある所の家がそうですよ。古ダヌキの杢兵衛さんていいまして」
職「なんでえ,その古ダヌキてなあ」
源「この長屋に一番古くからいるから,そう呼ばれてんです」
職「なんだな。そいつは馬鹿野郎だな」
源「別に馬鹿じゃありませんけど」
職「馬鹿だよ。こんな小汚い長屋からいつまでたっても這い出せないようじゃ,ロクな奴じゃねえだろう」
源「あァた,そんな悪く言うんなら越して来なければいいのに」
職「俺だってこんなトコに越したくはねえけどな,俺ァ今,親方の家で居候になってんだろ。それが今度,女と一緒になるんだよ。だから二ァ人でトグロまく所が必要になっちゃった。ふふ,いい女だぞ。来月んなったら,頭にこうマゲを結ってな,それに赤いチリメンなんかつけて飾ってるね。それでもって,そこにある井戸へ米をとぎに来たりするよ。色っぽいぞ。けどな,その時にそいつを変な目つきで見たりしたら承知しないからな!」
源「なんですか・・・早くお行きなさい」
職「タヌキはいるか!タヌキは」
杢「大変な奴が来たね。あの,あたしァ杢兵衛ですが」
職「杢兵衛だァ!?モクズガ二で充分だ」
杢「何かご用なんですか」
職「おお。路地口の空家だけどな。俺ァあれ借りようと思うんだ。だから言ってみろい。間取りがどうで,とかよ」
杢「間取りがね。六畳と三畳ですよ。庭もあって陽当たりがよくて,造作も全部ついてます」
職「いいなァ,おい。敷金はどうなんだ」
杢「敷金は,いりません。タダです」
職「なに,そんないい家なのにタダ?嬉しいねえ。いや待てよ,わかった。その代わり家賃を高いこと言おうてんだろ。あんまりフザけたことを言うと張り倒すぞ!」
杢「まだ何も言ってませんてば。店賃はあなたが払いたいと思えば払えばいいし,払いたくないと思えば払わなければいい」
職「何だよ,払わなくっていいって。無し?おい,ホントかよ。わかった。じゃあ,すぐ越して来ることに決めたからな。家主にそう言っとけよ」
杢「ちょ,ちょいと!あなた,待ってください!おかしいと思わないんですか!?」
職「・・・そういえばなあ。それだけの家でタダってのはなあ。まあいいや,じゃあな」
杢「まあいいやって。あなた待ってくださいよ!いや,本当はあたしだってワケを話したくはないんだ!」
職「なら話さなきゃいいだろ」
杢「ちょ,そんなことを言わないで聞いてくださいよ!」
職「仕方ねえなぁ。じゃあ聞いてやるよ。どうした」
杢「ハーハー・・・ま,まあ,そこでお立ちになったままでは何ですから,ゴホッ,こちらへお上がぁんなさあい」
職「急に調子が変わりやがったな。よし,上がったよ。何か食わすのか」
杢「違いますよ。あそこは今を去ること三年ばかり前,二十五,六になる後家さんが一人で住んでたんです」
職「ふーん」
杢「器量はいいし,仕立物はできる。それで愛想もいいから,その,“女やもめに花が咲く”なんて例えがありますね。近所の男で“あたしと一緒ンなりましょう”とか“せめて家賃だけでも払わせてほしい”とか言う人がありましたよ」
職「手前ェもその中の一人だろ。もっとも手前にゃ家賃を払ってやるなんざ無理だろうから,やれ“まきを割りましょう”だの“水を汲みましょう”だの親切ごかしに言って,隙を見て口説こうと思ってやがったな。スケベ野郎!」
杢「違いますってのに。おかみさんは物堅い人でしてね。それでも,浮いた噂はありません。ところが花嵐時分,ひどい雨の降る晩があって,そのおかみさんの家に泥棒が入ったんです」
職「泥テキかい?なんだなァ。そんなトコに入って。俺がいりゃあ,ふん捕まえてやるのに」
杢「泥棒が荷物をこしらえて,さあ出て行こうという時に,寝ているおかみさんが目に入り,器量がいいもんだからムラムラっときた。そして,おかみさんの体に触る」
職「ええっ?体に?ふふふ。俺ァそういう話がちょっと好きなんだよ。その泥棒も大胆で困るねえ。それでどうしたいっ」
杢「そんなに前に出ないでくださいよ。あたしは大変な話をしているんですから・・・おかみさんが気づいてハッと目を開ける。雲を突くような大男だ。“キャーッ!”と大声を上げます。さあ泥棒だって我が身が怖い。ノンでいたアイクチを抜く。おかみさんが逃げる。そのたぶさを掴んで引いといてズブッと突いたのが乳の下。これがいわゆる致命傷」
職「そりゃ,お前がやったんだ」
杢「なぜです」
職「そんなに事細かくわかる訳ねえじゃねえか。お前に違えねえ!来い。お上に届け出てやる!」
杢「ちょッ,ちょッ,待ってください!そうじゃないかっていう話なんですよ!」
職「本当に違うのか」
杢「そうなんですよ。泥棒はそのままどこかへ消えてしまう。次の日になる。いつもは朝早いおかみさんが一向に起きてこない。近所の人が不思議に思って中を見ると,あたり一面が血の海なんです」
職「うん」
杢「それで,身寄り頼りのない人ですから,長屋中で弔いをする。きれい掃除をしてまた貸家の札を貼る。けれど,越してきた人達はまず三日そこらで出て行ってしまう」
職「どうして?」
杢「越してきて一日,二日は何ともないン」
職「お前,何か食ってるか?まるで腹に力が入ってねえぞ」
杢「・・・三日目になりますと宵の内は賑やかだが,夜が更けるにつれて世間はシーンといたします」
職「当たり前じゃねえか。宵の内は賑やかだろ。夜が更けるりゃシーンとするじゃねえか。夜が更けて賑やかならボヤでもなくちゃならねえ」
杢「いえ,そうですがね。いずこで打ち出すか遠寺の鐘が,陰気でゾッとするような音で・・・」
職「ボーーンと鳴るのかい?爺や」
杢「ジイヤ!まあ,そうです。そして仏壇のリンがチーーーン」
職「誰が鳴らすんだい」
杢「ひとりでに鳴るんですよォ」
職「面白くていいや。そりゃ。夜中に余興があるなんざな」
杢「・・・すると,縁側の障子がスルスルスルスルッと開く」
職「便利でいいなァ。こうしよう。俺ァ,その時を狙って小便に行かあ。それがいいや」
杢「・・・そこから生温かい風がヒューーーと流れると,殺されたはずのおかみさんが髪をおどろに乱してスゥーーッと入って来ます」
職「ヨッ」
杢「寝ている人の所へ血だらけの顔を近づけて・・・ケタケタッと笑う」
職「いいねえ。明るくて。泣いてるよりずっといいや」
杢「そして“まあ,よく越しておいでですねぇぇ”と言いながら,冷たい手で寝てる人の顔をこーうやって」
職「な,なんだよ。濡れ雑巾なんか近づけやがって。手前ェの面ァこすってやるコノヤロウ。やい!いいか!俺は明日越してくるからな。ちゃんと掃除しとけよ。あばよっと」
杢「待っとくれ!お前さん!ペッペッ。ペッ」
源「杢さん。さっきの奴はどうしたい」
杢「駄目だ。何をやっても驚かなかったよ。困ったなあ。家賃なんか無いって言っちゃってるし」
源「濡れ雑巾はやらなかったのかい?」
杢「やったよ。そしたら,あいつ雑巾をひったくって,アベコベにこっちの顔にやりやがった。ペッ」
源「しょうがないねえ。じゃあ,何も置いてかないかい」
杢「置いてかないよ。あいつは。あッ,ここにあったがま口持って行っちゃった!」
職「・・・荷物も少ねえから車も軽いや。へへっ。おーい,じゃあ今日からここに入るからね。よろしくな」
源「ア,越してきたよ」
職「さて荷物は置いたし,なんだな,やっぱりこうしてみると,親方の所で厄介になってるよりいいや。海老みたいに寝てなくてよくなるんだからな。ここは俺の家だ。ね,もうじき女も来るし,嬉しくなっちゃうよ。ああ,もう薄暗くなってきた。そうだ,ひとッ風呂あびて来よう。隣の人に声をかけてと・・・えー,こんばんは」
おばさん(以下,小母)「いらっしゃいまし」
職「隣に越してめえりましてね。一つお願いします」
小母「ああ,さようでございますか。威勢のいい兄さんですこと。お隣が長いこと空いてたんで,どうも嫌な心持ちだったんですよ。昨日は変な噂も聞きましてね」
職「噂ってユーレイ?」
小母「ええ。よくは知らないんですけれど」
職「なんだい幽霊なんて。大体,あいつらは飯を食ってねえんだ。出て来たらね,ふん捕まえて色々と用をさせてやりますよ」
小母「まあ,大変に度胸がおあんなさるのね」
職「そう。あっしは全部が度胸。度胸が着物を着てるようなもんだからね。着物を脱いだら,何もなくなっちゃうよ」
小母「あら,面白い方ねえ」
職「じゃあ今から湯ゥ行きますから,留守になるんで頼みますよ」
小母「はい。行ってらっしゃいまし」
【Act Ⅳ】
△「おう,みんな。ここの家だよ。めでてェじゃねえかなぁ。今まで親方ん所で同じ飯を食ってた仲間が所帯を持つってんだから」
○「よしねえな」
△「大丈夫だよ。入んねな。へへ,格子がすっかり洗ってあらあ。灯りもついてるぜ。おうッ,いるかいッ?・・・あれ,どうしたんだろう。どっか行ったのかなあ。よう,ちょいと隣の人に聞いてみろやい」
○「・・・湯に行ったんだとさ」
△「なんだよ。じゃ,まあいいや。とにかく入っちゃおう。友達の家だから構やしないよ・・・へえ,見ろい。あいつにゃ良すぎる家だよ。これで店賃がタダだってんだからなァ」
○「それなんだよ。あいつが言うにはさ,この家は出るっていうぜ」
△「知ってるよ。冷たぁい手でこう顔をなぜる・・・」
○「よせやい。でも,怖くねえのかなあ」
△「怖いより安いってんで入ったんだよ」
○「度胸もあるようだよ。俺が“夜中に火の玉が飛んでたらどうする?”って聞いたら“なァに,そんなもの炭団(たどん)の代わりに火鉢にくべてやる”って言ってたよ」
△「ふーん。本当に度胸があるのかな。そうだ。どうだい,試してみようじゃねえか」
○「どうすんの?」
△「あいつが湯から帰ってくんだろ。その前に灯りを全部消しちゃってさ,みんなで隠れてるんだよ。おう,金さん。お前ェ,ナリが小さいからその戸棚に入ってろやい。あいつァそこを仏壇にしてるみたいだから,ほら,リンがあるだろ。それをチーーンと鳴らすんだ。ね。で,又さんと猪(イノ)さんでな,障子に紐をつけて,外で両側から開けるんだよ。ひとりでに開くみたいに。うん。そしたら奴は,なんだッてんで障子を覗きに来るだろ。そこで俺が天井に隠れてて,上からホウキで奴の顔をなでちゃう。もういけねッと思って逃げるところを,鉄っつぁん。その金槌を糸で結わえてね,出口で待ってよ,上から垂らして,来たら奴の額にゴツンとぶつけてやるんだ。面白いよ。やろうじゃねえか」
職「はーあ,いい湯だった。なんだねぇ,湯ってやつは安いな。うん。安いったって,一日中入ってたらフヤけちゃうけどな。安いといえば,あの家も安いや。タダってんだからな。じゃあ,ちょいとソバでも食って,寝るか。おばさん,ありがとやんした・・・ん?いやに家が暗くなってやがるぞ。灯りはついてたんだけどな・・・まさか始まったかな?越してきて三日目って言ってたんだがなァ。早過ぎるよ。まだ初日じゃねえか。いや,違う。仏様のリンが鳴らないからね。リンが・・・」
×チーーーン
職「あっ,鳴ってやがる。しょ,しょ・・・障子はひとりでにスルスル開くなんてことは無ェ・・・」
×スルスルスル
職「開きやがった!な,何かいるのか!そ,そんなもんを怖がるような・・・い,今そっち行って手前ェの正体を・・・」
×サーーッ
職「ギャーー!何か顔をなぜやがったよ!もうダメだ。逃げようっ。出口の方から!」
×ゴツッ
職「痛てーーッ。た,大変な家だよ。親方ん所へ帰っちゃおう」
△「おい,どうだい。面白かったなあ。うまくいったじゃねえか」
○「うん。こんなにうまくいくとは思わなかったな」
△「でも,あいつドコ行ったのかなあ。なあ,また戻って来たら,もういっぺん脅かしてやろう」
○「どうするんだい?」
△「今,前を按摩さんが通ったろ。呼んでくれ。髪の毛がなくて都合がいいや。按摩さんを大入道にしてやるんだ・・・おう,按摩さん。いやね,療治じゃねえんだ。ちょっと,この布団に寝ててほしいんだ。でね,誰か入って来たら“モモンガー”って言って脅かしてやって。療治代は出すから。そんでね。下の所にもう一枚布団を敷いて,おい,一人ここにもぐって足だけ出せやい・・・ほらっ,見なあね。大男が寝てるようじゃねえか。大入道だ」
職「おっおっおっ,親方ーアッ」
親方(以下,親)「どしたい。お前ェ。引っ越したんだろ」
職「ありゃあ,化け物屋敷だ!湯に行って帰って,そしたら灯りが消えてるんだよ。おやッと思ったらチーーンて鳴って,障子が勝手に開いて,度胸をきめて見に行ったら,幽霊が顔をなぜやがった。しょうがなくって出口から逃げようと思ったら,幽霊が追いかけて来やんだよ。それであっしの額をゴツッとなぐりやがった。そのゲンコの堅えこと・・・」
親「べらぼうめ!今どき幽霊にゲンコなんてあるわけねえじゃねえか。よし,俺が一緒に行ってやる。どこだ?」
職「ここです」
親「おい!なんだよ。とんでもなく大きい奴が寝てるぜ」
職「ひいッ,親分,ありゃ大入道だ」
親「バカ言いやがれ。おう,お前,横丁の按摩さんじゃねえか。何だい。下の布団にもう一人入ってやがるぞ。おい,手前ェ何やってんだ!」
○「お,親分ですか。大変な奇遇で」
親「奇遇じゃねえ。そうか,手前ェら,みんなして意地悪でこいつを脅かしてやがったんだな。所帯を持つ仲間だってのに。やい,言い出しっぺは誰だ。初めにやろうって行った奴は誰だ」
○「半公ですよ」
親「おい,半公。出てこい!あっ,出てきやがった。手前ェ,何だってこんなことするんだ」
△「へ,へえ。あたしは幽霊に似てるって言われるもんで」
親「何をぉ?どこが幽霊に似てるんだい。幽霊ってのは,冷てえけど綺麗なツラだ。手前ェは外道みてえなツラしやがって。手前ェのどこが幽霊に似てるんだい」
△「へえ,始終,銭(オアシ)がないから」