Green‐tea Break

この噺のラストが好きです。
ただ,残念なことに今まで色んな師匠方の『だくだく』を聴いてきましたが,ラストを(私にとって)思う存分やってくれた方はいらっしゃらず,スッと切り上げてしまう気がしました。
「もし自分が落語家なら,この部分を伸ばしたかった」という夢が,ここで叶ったような思いです。

本編

【Act Ⅰ】
熊吉(以下,熊)「どうも先生」
絵師(以下,師)「おや熊さんかい。珍しいな。まあお上がりよ」
熊「何しろここんところ忙しくてねぇ」
師「忙しいのは結構じゃあないか」
熊「いえ,それがあんまり結構じゃないんですよ。店賃(家賃)を一年と十二ヵ月ためたら忙しくなっちゃった」
師「そりゃずいぶんためたねぇ」
熊「別に骨は折れなかったけど」
師「骨が折れてたまるかい。大体,一年と十二ヵ月ってのは二年じゃないか」
熊「“二年”て言うよりなお景気がいいや」
師「そんなものに景気をつける奴があるかい」
熊「で大家さんときたらね,店賃を払う気がないんなら家を空けろって,わからねえことを言いやがんだよ」
師「お前さんの方がわからないよ」
熊「なに家を空けるのはいいんだよ。替わりの家を建ててくれりゃあ」
師「言うことが変だな」
熊「とにかく替わりの家を探してほうぼう歩いてたんだよ。それで忙しかったんでさァ」
師「そうか。いい所が見つかったか」
熊「ええ。同じような貧乏長屋」
師「ああ,そこへ引越したのか」
熊「引っ越したといえば引っ越した。引っ越さねえといえば引っ越さねえ」
師「荷物を運んだんだろ」
熊「いいえ,何にもねえ。家財道具はみんなバタ屋にたたき売っちゃったんですよ」
師「じゃあ体だけか。ヤドカリだねまるで。けどそりゃ引っ越したんだ」
熊「うん。でも家ン中はいっても何にも品物がねえでしょう。友達なんかがきたらバカにしやがるよ。熊公の家はやたら広い広いって。だから考えましてね。壁へ白い紙をきれいに貼っちゃったんですよ。ひとつそこへ先生に家財道具を描いてもらおうと」
師「だって絵じゃ仕様がないだろ」
熊「いいんですよ。絵で。あるつもりでいりゃいいんだ。あっしゃあね,昔から気で気を養うのが好きなんです。何でも“つもり”でことをすましちゃう。例えばあっしが表を歩いてますね。向こうからいい女が来れば,ありゃおれの女房のつもり」
師「都合がいいなァ」
熊「だから先生,描いてくださいよ。ふだんから先生言ってるでしょ。私はまずい絵を描くって。まずい絵でいいんですよ。他にいねえから」
師「人にものを頼むのにそんな言い草があるかい」
熊「そんなら先生は大変な名人だそうで」
師「急にほめるな。わかった,描くよ。そこに絵の道具が入った箱があるから,それを持って一緒に来ておくれ」
【Act Ⅱ】
熊「先生,この長屋なんですがね」
師「ほう,なかなかしっかりした家じゃないか」
熊「こっちへあがってください」
師「またずいぶんきれいに白紙を貼ったな」
熊「さっそくですいませんがねえ,正面へ床の間を頼みますよ」
師「お待ちよ。用意するから・・・ここかい・・・じゃあこんな具合でいいかい」
熊「あれっ,うまいねえ。先生,まずかないよ。本物みてえだ。その調子で脇へたんすをお願いしやす。桐じゃなきゃだめだよ」
師「はいはい」
熊「ああ,たんすは少し開けといてください。そこから絹の着物とね,紋付きの羽織,帯に袴ね。そういうのがちょっと出てる」
師「注文がややこしいな」
熊「その上へ舶来品の置時計をお願いします。ラジオも置こう。ちゃんと天気予報が聞こえるやつだよ」
師「おい描いたものが聞こえるかい」
熊「無理かな。描いた竜が水を飲みに行ったって話を聞いたことがあるが,先生は大して名人じゃないな。じゃあ今度はこっちへ茶だんすを描いて,一番上には洋酒が並んでる」
師「わかった,はい」
熊「真ん中の段に茶道具が一式揃ってまして,一番下にはようかんが厚めに切ってある」
師「これでいいのかい」
熊「うまそうだな。楊枝も描いて」
師「描いたよ」
熊「じゃあ今度はこっちへ長火鉢を描いて,鉄瓶のお湯がチンチン沸いてる」
師「うん」
熊「湯気をあげて」
師「はいよ」
熊「押入れには絹の布団」
師「ほら描いたよ」
熊「仏壇に本棚。本は難しそうなのがいいよ。字は読めねえけど」
師「はい,他には?」
熊「そうだ。猫板の上に猫を一匹お願いします。あくびしてるところを。おお三毛だね。それから・・・そうそう,なげしへ槍を一本お願いします」
師「槍なんぞは,お前さん,いらないだろ。見る人に見られたら怒られるよ」
熊「あったほうがいいんですよ。友達なんか来てもさ,槍があると,こいつんとこは先祖は侍なんだなって尊敬するから」
師「尊敬しやしないよ。第一,あたしゃ手が届かないよ。高すぎちゃって」
熊「ああ,じゃあ下に踏み台を描いて乗るといいよ」
師「描いた物に乗れるかい」
熊「そうか。しょうがねえ。あっしが台になりますから背中に乗ってください。もう,重いね,どうでもいいけど・・・描けましたか?どうも。おっと立派な槍だ。先生,今度は台所に行ってください」
師「まだあるのかい」
熊「そこんところへね,へっついをお願いします。で,釜がかかってましてね。火が燃えてる」
師「火なんかいいだろう」
熊「その方が景気がいいんですよ。それから鍋に包丁に。ああ,脇に焚き木がなきゃいけないじゃないか」
師「怒られながらやってるよ。はいよ」
熊「そうだ。金庫が必要だな」
師「金庫?」
熊「うん,扉が甘く開いてましてね。中にはこれ見よがしに札束が入ってる」
師「ぶっそうな金庫だな」
熊「はい,もういいや。ありがとう」
師「ああ疲れた」
熊「お疲れ様。先生の家にお茶があるから飲んでください」
師「そのくらいお前が出したらいいだろう」
熊「そりゃ出したいけどさ,なにもねえんですよ。ようかんならあるけど」
師「それはさっきあたしが描いたんじゃないか」
熊「仕様がないよ。またお礼にうかがいますから。はいお帰りはあちら。行っちゃった。あっはっは,ありがたい。おかげで見違えちゃった」
【Act Ⅲ】
泥棒(以下,泥)「・・・最近また目が悪くなりゃがったかな。こう夜になると目がかすんでいけねえや・・・ん?ここは人が住んでいないと思ったが,誰か越してきたかな・・・ありゃ,なんだいすごい家だよ。金目のモンばっかりだ。・・・だらしのない顔の奴が寝てるよ。こいつはきっと留守番係だな。ほかには誰もいねえや・・・ふっふ,かわいい猫があくびしてやがら。あっと,へっついに火がおきたままだよ。仕方ねえ留守番だな。こういうところから火事がおきるんだよ。それよりこりゃ仕事のしがいがあるぞ・・・主人なんかが帰ってくる前に・・・いいたんすだねえ。総桐じゃねえか。今時,珍しいぜ・・・でも引き出しがつかみにくいな。おれも長年やってるけどこんなつかみにくい引き出しは初めてだよ・・・あれ?あれ?つかみにくいわけだ!こりゃ絵で描いてあるんじゃねえか。でも何だってこんなことを・・・」
熊「・・・ん?ん?あれ?アッ泥棒が入ってる。クスッ,たんすの前で弱ってら。見ててよう」
泥「わかった。今はたんすはないけれども,後で買ったらここへ置こうってんで,しるしに絵を描いたんだな。ヘヘッ,たんすなんざいいよ。見りゃ金庫にたくさん金が入ってやがる。こっちの方が軽いし使い勝手があるからな。じゃこっちを・・・あ!これも描いたもんだよ!おい,そういえば猫があくびしっぱなしじゃねえか。なんだい,どれもこれも・・・この野郎,なんにもないもんだから絵を描いて,あるつもりでいるんだ。どうしよう。待てよ,俺もこの稼業が長えんだ。人の家へ入って何も盗らずに出て行くわけにはいかないぞ。よし,こいつがあるつもりでいるんなら,俺も盗ったつもりでやってやろう・・・まずはと,大きな風呂敷を広げたつもり。たんすの一番下の引き出しをスッと開けたつもり。お召しの着物をゴッソリもらったつもり。このまた上の引き出しを開けたつもり。羽二重の長襦袢があったつもり。博多の帯もあるぞ。これももらったつもり。そのまた上を開けて,粋な着物をもらったつもり。とにかく,たんすの中のは全部風呂敷におさめたつもり。上に置いてある置時計もラジオももらったつもり。金庫の札束をグッと百万円くらいふところへ入れたつもり。風呂敷をギュッと結わいてドッコイショッとかついだけれども,重たくって持ち上がらないつもり・・・」
熊「プッ,粋な泥棒が入って来やがったね。ハッと目を開けたつもり!」
泥「あっ見つかったつもり!」
熊「“こら泥棒っ”と叫んだつもり」
泥「あわてて荷物をかつぐつもり」
熊「絹の布団をはね上げたつもり」
泥「荷物は重いからあきらめて下ろしたつもり」
熊「たすきを掛けたつもり」
泥「ふところの金だけ持って逃げるつもり」
熊「なげしにある槍を取ったつもり」
泥「痛テッ。転んだつもり」
熊「槍を振りまわしながら追いつめたつもり」
泥「四つん這いでウロウロするつもり」
熊「腹をズブッと刺したつもり」
熊「“ギャーッ”と悲鳴を上げたつもり」
熊「グイグイと腹をえぐったつもり」
泥「くーッ。だくだくっと血が出たつもり」

Green‐tea Break

大変な思いで書きました。磨かれきった落語のすごさを,再認識した気がします。私自身の色を出そうと思っても,そうすると別の所で無理が生じてしまうようでした。
プロローグにある二代目蝶花楼馬楽。この人に心酔した噺家が三代目の馬楽となり,後に四代目柳家小さんになります。その弟子が国宝の五代目小さんという流れです。皆,この種の噺の名手とされています。

本編

【Act Ⅰ】
月番(以下,月)「おい,これで長屋の者は揃ったかい。大家がさ,みんなが仕事に行く前に集めてくれって言ったんだよ。今月は俺が月番だから,その通りにみんなを呼びに行ったんだけどね,どうせろくなことじゃねえだろうと思うんだ」
○「ふーん。なんの用だろうなァ」
月「まァな,俺の考えじゃ,店賃の催促じゃねえかなと思うんだけどね」
△「そりゃ図々しいよ」
月「別に図々しかないよ。俺たちゃ店子なんだから。お前は店賃,どうなってる」
○「いやあ,面目ねえ」
月「面目ねえってトコを見ると,持ってってないな」
○「それがね,一つ持って行っただけに面目ねえんだ」
月「月々,一つずつ持って行きゃ充分だ」
○「月ごとに一つ持って行ってるなら,面目ねえなんざ,これっぽっちも思わねえ」
月「あ,そうか。お前のことだから,先月のを一つ持ってったんだな」
○「先月のを持ってきゃ,何も驚くことはねえ」
月「半年前か」
○「半年前に持ってきゃ,大いばりだ」
月「一年前か」
○「一年前に持ってきゃ,大家の方から礼に来らァ」
月「・・・すると,二,三年前か」
○「二,三年前に持ってきゃ,大家は町内中に餅を配るよ」
月「よせよ。いつ持って行ったんだ」
○「俺がここに越してから十八年だから,十八年」
月「本当かい。十八年なんてまるで仇討ちの世界じゃねえか。おう,そっちはどうなってる」
△「一つやってあるよ」
月「十八年前かい」
△「親父の代だ」
月「おい,とんでもない家系だよ。そっちは?ああ,お前は案外しっかりしてるトコがあるから,そんなでもねえか」
×「店賃って何だ」
月「何だって。知らねえのか。俺たち,部屋を借りてる店子が月ごとに大家さん所に持っていく金じゃねえか」
×「まだもらわねえ」
月「もらう気でいる。しょうがねえなあ,どいつもこいつも。これじゃあ,タナ立テくらいのことは言われるぜ。まあいいや,物のわかる大家だ。頭下げて“すいません”って言ってりゃあ大丈夫だよ。頭あげちゃダメだぜ。小言がぶつかるからね・・・おい,いるよ。難しい顔して本なんか読んでやがる・・・大家さァーーん。おはようございまァーーす」
【Act Ⅱ】
大家(以下,大)「何だい,ありゃ。遠くから声を掛けやがって。おい,そんなトコじゃ話がしにくいから,みんなこっちに来な!」
月「いえー,もうここで結構ですー。あのー店賃でしたらもう少し待ってもらいたいんですがねー」
大「ははは,店賃の催促だと思ってるな。おーい,そのことじゃないから,こっちへ来ーい」
月「おい,違うとよ。じゃあ行ってみようじゃねえか」
○「へい,おはようございます」
△「おはようございます」
×「おはようございます」
□「おはようございます」
大「おいおい,そんなに大勢で言うとうるさくていけねえ。一人が言えばわかるよ」
月「じゃあ,あっしが月番ですから,あっしが総名代で言います。え,おはようございます」
大「なんだい,総名代が一番後に言っちゃいけない。まあ,俺が呼んだというだけで店賃のことを思ってくれるだけでもありがたいよ。俺もな,あんな長屋を貸してて,店賃を満足に取ろうなんて考えちゃいないんだ」
月「そうですか。いえ,あっしらもね,あんな小汚い長屋を借りてて,満足に払おうなんて不届者はいませんからね。その点は大家さんもご安心を」
大「馬鹿なことを言っちゃ困るよ。雨露をしのぐ家なんだから,精を出して入れておくれ」
月「雨露って言いますがねえ,露はしのげますが雨は駄目だ。この間の大雨の時なんか,家の中にいられないんですよ。“おい,みんな雨宿りしろッ”って,表に駆け出したくらいですから」
大「家の方が濡れるなんてあるか。まあ,いいから。今日,お前さん達を呼んだのは他じゃない。いい陽気になったろ。表をぞろぞろ人が通るじゃないか」
月「大変な人ですよ」
大「お花見に行く連中だ。うちの長屋は世間から貧乏長屋なんて言われている。だからどうだい,長屋中のみんなで花見に行って一つ陽気に騒いで,貧乏神を追っ払おうじゃないか」
月「花見って,どこに行くんです」
大「飛鳥山が今,見頃だって言うからどうだい」
月「なるほど。長屋中みんなで飛鳥山へぞろぞろ行って,花をみて,ぞろぞろ帰ってくるんですか」
大「歩くだけなんて,そんな間抜けな花見があるかい。“酌む酒は これ風流の眼(まなこ)なり 月を見るにも花を見るにも”だ。酒,さかながなくっちゃあ面白くない」
月「はあ,じゃあ割り前で買って行こうってんですか」
大「大丈夫。私が用意したから。ここに一升瓶が三本ある。この重箱の中には,かまぼこと玉子焼きが入ってるんだ。どうだ,行くかい」
月「行く。行きますよ。なあ,みんな」
○「ありがたいねえ。俺は,それを持ってならカムチャッカでも行くよ」
大「カワウソを取りに行くんじゃない。じゃあ,今月の月番と来月の月番は幹事になっておくれ」
月「かしこまりました。おう,みんな,大家さんに散財してもらったんだから,お礼を申そうじゃねえか」
○「どうも,ごちそうさまです」
△「ありがとうござんす」
×「ごちになりやす」
□「ごちそうさまで」
大「おいおいおい。そうみんなで頭を下げられると,私もきまりが悪い。向こうに行って愚痴を言われても困るから,今の内に種明かしをしておこう。これはね,本当の酒じゃないんだよ」
月「え?」
大「番茶なんだ」
月「番茶?番茶なんかいいですよ。向こうに行けば茶店はいくらでもありますから」
大「話を最後まで聞きな。この酒はね,番茶を煮出して水で割って薄めた物なんだ。色は酒みたいだろう」
月「おーい,おかしくなってきたよ。何ですか大家さん。これはお酒じゃなくてオチャケですか」
大「まあね」
月「どうも変だと思ったよ。貧乏大家。え?何?向こうを聞いてみろ?ああ,そうだなあ,せめて食い物が本物ならな。あの,大家さん,こっちのかまぼこと玉子焼きは本物なんですか」
大「冗談言っちゃいけない。それを本物にするくらいなら,酒を買うよ」
月「するってえと,こっちは何です」
大「蓋を取ればわかるが,大根とタクアンが入っている。大根がかまぼこ。ちゃんと月型に切ってあるだろう。タクアンが玉子焼きだ」
月「驚いた」
大「ハタから見てればわからないよ」
月「悪い趣向だなァ。おう,みんなどうする。これで行くかい」
○「しょうがないよ。付き合いだ。まあ,向こうに行きゃあ,大勢の人がでてるんだから,二銭くらい落ちてるかも知れねえ」
大「変なこと言うんじゃない。じゃあ,出かけよう。今月の月番と来月の月番には早速,働いてもらうからね」
月「嫌な時に月番になっちゃったよ。ああ,来月はお前か。今日は,俺とお前が色々やんなきゃならねえんだからな」
△「別にいいさ。俺はね,向こうに行って,本物の酒を飲む方法を考えたんだがね」
月「ふうん。どうすんの」
△「酒を飲んでる奴の所に行って“よう,兄弟”なんて言うんだ。相手も酔ってて気持ちよくなってるから“よう,兄弟”って返す。“一杯ついでくんねえ”って本物を注がせてさ,今度はこっちは濁った水かなんか注いじゃう」
月「タヌキだね。まるで」
大「下らないことを言ってちゃいけない。土間に毛氈(もうせん)があるから取っておくれ」
月「花見に毛氈は付き物だね。ん?大家さん,こりゃムシロだよ」
大「敷ければ同じじゃないか。毛氈を早く持ってきな」
月「へい,米屋の毛氈」
大「何だい。米屋の毛氈てな。それを荷物に巻いて,竹の棒を通すんだ。その両端を二人が持って行けばいい。今月と来月の月番,頼むよ」
月「このムシロの包みを担ぐんですか。花見に行く格好じゃないよ。猫の死骸を捨てに行くみてえだ」
大「何を言ってる。みんな,酒の一升瓶は各々が持つんだよ。一人がまとめて持ったら,ぶつけて割るかも知れない。さあ,行こう」
【Act Ⅲ】
月「それじゃ,担ぐとするか。えー,ご親類の方々,揃いましたか」
大「弔いに出るんじゃねえ。よし,俺が音頭を取るから陽気に出かけよう。ほら,花見だ,花見だッ」
月「夜逃げだ夜逃げだ」
大「誰だい,そんなこと言うのは」
月「あーあ,おい片棒。お前と俺は担ぐことに縁があるよなあ」
△「そうだな。一昨年は,羅宇屋(らおや)の爺さんが死んで,二人で担いだな」
月「そうそう。雨が降ってて陰気だったな」
△「だけど,あれっきり骨あげに行かねえなあ」
大「おいおい,花見に行くのに骨あげの話をするんじゃない。もっと陽気なことを言いいな」
月「大家さん。ずいぶん人が出てますねえ」
大「大変な賑わいだ」
月「あっしは,さっきから考えてるんですがね。この人達から,一人,一銭ずつもらったって相当なもんだと思うんですよ」
大「もらうなんて言ってちゃダメだよ。どうせ言うなら,もっと大きなことを言いな」
月「じゃあ大家さん。このごろ札で鼻をかまねえね」
大「よしなよ,ばかばかしい」
月「大家さん,みんないい着物を着てますね」
大「うん。小千両ってくらいのもんだな。それぞれ自慢の着物で来ているとみえる」
月「それに比べて,着てれば着物だけどこっちは脱げばボロだ」
大「ナリで花見をするわけじゃない。“骸骨の 上を鎧うて 花見かな”。一皮むけば皆,ガイコツだ」
月「そうか。ガイコツか。なあ片棒,あそこの女は色気のあるガイコツだ」
△「本当だ」
大「そんなのがあるか。さあどうだい,みんな,この辺は見晴らしがいいぞ」
月「見晴らしなんざいいよ。大家さん,もっと下の方に行きましょう」
大「下は,ほこりっぽいじゃないか」
月「下にいりゃあさ,上で物を食ってる人が,ゆで玉子かなんか落としたらね,コロコロ転がってくるよ。それを食う」
大「そんなさもしいことを言うな。どこでもいいよ。お前達の好きな所へ毛氈を敷きな」
【Act Ⅳ】
月「へいへい。あれ,毛氈の係がいなくなっちゃったぞ。あっ,あんな所で本物食ってるのを眺める。ぼんやり突っ立ってやがって。おーい,毛氈を持っておいでー」
○「おいおい,だめだよ。当人は毛氈なんか持ってる気持ちじゃないんだから。おーい,毛氈のムシロを持っておいでー」
大「おい,両方言う奴があるか」
○「両方言わないと気がつかないもの。まったく,何してんだよ。こっちが始まるんだよ。ボリボリのガブガブが」
大「余計なことを言うなってのに。さあさあ毛氈を敷いて。ん?どうしたい,こんな細長く敷いて」
○「ええ。ここに,こう一列に並んで座りましてね。通る人に頭を下げて」
大「物もらいの稽古をするんじゃねえ。丸く座れるように敷いて。そう。重箱を真ん中に出して。一升瓶は一本ずつ開けるんだよ。粗相するといけないから。湯飲み茶碗をめいめいに取って。よし。さあ,今日は遠慮なくやっておくれ。おたいらに。おたいらに」
△「ちぇっ,こんな所でおたいらにしてちゃあ,足が痛えや」
大「今日は俺のおごりだと思うと,みんなも気が詰まるだろう。無礼講だ。遠慮なくやりな」
△「誰がこんなもの遠慮するかい」
大「よし,酔いがまわったところで,一つ都々逸でも発しな」
△「なんでそんなもん発しなきゃいけねんだぃ。狐に化かされてるようだ」
大「おい,お前はいちいち変なことを言ってちゃいけねえ。さあ月番。ぼんやりしてないで,どんどんお酌をして回らないといけない」
月「ああ,そうすか。そら」
○「少しでいいよ。真似だけで。あっ,上から押さえつけて,そんなに。見ろ,こんなに入れやがって。後でお前の時に覚えてろ」
大「なんだな。たんと注いでもらったのなら喜べ」
○「ほら,そっちに注いでやるよ」
△「ありがとよ。あーあ,こうして見ると,色は本物なんだがな。ゴクゴクッペッ。ほら,今度はそっちへいくよ」
大「お前達。酒を注ぐ時は“一献けんじましょうか”てなことを言いな。周りが見てるじゃねえか」
△「へいへい。おう,一献けんじよう」
×「けんじられたくねえ」
△「断るなよ。早く,歯入れ屋の大将よう」
大「下駄屋の大将って言ってみなよ。周りが見てる」
△「なんだよ。じゃあ下駄屋の大将・・・歯のほうの」
×「俺は下戸なんだよ」
大「ああ,下戸の人もいるかも知れないね。そういう人には食べ物があるよ」
×「え。一難去って,また一難」
大「なに?さあ,玉子焼きをおあがり」
×「あっしは歯が悪くてね。ちょっと,この玉子焼きは刻まないと」
大「玉子焼きを刻む奴があるか。飲むか食べるかしなさい」
×「じゃあ,あっちの白いのを」
大「色で言うな。かまぼこか」
×「ええ。そのボコ」
大「何だいボコってのは。おい,かまぼこを取ってやれ」
×「あっしは,かまぼこは好きなんですよ」
大「そうだったか」
×「へえ。毎朝,味噌汁の実に使いますがね。千六本にして。それから胃の悪い時には,かまぼこおろしにする。葉っぱは糠味噌につけるのがいい」
大「かまぼこに葉っぱがあるか」
□「すいません。そっちの玉子焼きを一つください」
大「うまいな。こちらを見た人がいるぞ。おい,玉子焼きを取ってやんな」
□「尻っぽじゃねえ方だよ」
大「それじゃ何にもならないじゃねえか。ところで,誰も酔わないなあ。向こうでは“甘茶でかっぽれ”で踊ってらあ」
月「こっちは番茶でさっぱりだ」
大「仕方ない。そうだ。六さんは俳句をやってるそうだな。一句吐いてくれないか」
○「“花散りて 死にとうもなき 命かな”」
大「なんだかさびしいな。他には」
○「“散る花を なむあみだぶつと 夕べかな”」
大「おいおい,そう淡々と陰気な句を詠んでちゃ困るなあ。もっと陽気なのを頼むよ」
□「あたしが考えたのを,書いてみました」
大「ほう,弥太さんかい。矢立て(文房具)なぞ持ってきて,風流人だね。どれ,拝見しよう。“長屋じゅう・・・”うん,長屋の花見だから,長屋と入れたのか。“歯を食いしばる花見かな”。おい弥太さん,歯を食いしばるというのは」
□「へえ,情けないところを」
大「しょうがないなあ。よし,月番,景気よく酔っ払っておくれ」
月「うーん,酔わないフリならできるけどなあ。酔ったフリは無理ですよ」
大「そのくらいの無理は聞いておくれよ。恩に着せるわけじゃないけど,お前さんの面倒は随分みてるはずだ」
月「わかりましたよ。大家さんも必死だな。それでは大家さん」
大「何だ」
月「つきましては酔いました」
大「そんな酔い方があるか。もういい,来月の月番,酔っておくれ」
△「どうしても月番にきやがる。よし,おう,その湯飲み茶碗を取ってくれ。手ぶらじゃ酔いにくい。さあ酔った」
大「たいそう早いな」
△「その代わり,醒めるのも早いよ。おーい,俺は酒を飲んで酔ったんだぞ」
大「断らなくてもいい」
△「断らないと,おかしいと思われらあ。借りたものなんざあ,どんどん利子をつけて返してやらあ」
大「景気がいいな」
△「店賃は払わねえ」
大「悪い酒だな。どうだ,酒がいいから,頭へは来ないだろう」
△「頭へは来ねえ。小便が近くなる」
大「ばかだな。どうだ,酔った心持ちは」
△「去年の秋に井戸へ落っこちた時のような心持ちだ」
大「変だなあ。でも,酔ってくれたのはお前だけだ。どんどんお酌してやれ」
△「注いでくれ注いでくれ。とっとっ,いいや,こぼれたってもったいない酒じゃねえ。あっ。大家さん,近々,長屋にいいことがありますぜ」
大「そんなことがわかるのか」
△「へえ,酒柱が立っている」

プロローグ

上方の『貧乏花見』をご存知の方は,こちらの東京バージョンは短く感じられるかも知れません。狂言の喧嘩をして食べ物を奪う場面がないからです。
今の東京型を作ったのは二代目蝶花楼馬楽という方だそうです。

飛鳥山の桜