本編

【Act Ⅰ】
熊吉(以下,熊)「どうも先生」
絵師(以下,師)「おや熊さんかい。珍しいな。まあお上がりよ」
熊「何しろここんところ忙しくてねぇ」
師「忙しいのは結構じゃあないか」
熊「いえ,それがあんまり結構じゃないんですよ。店賃(家賃)を一年と十二ヵ月ためたら忙しくなっちゃった」
師「そりゃずいぶんためたねぇ」
熊「別に骨は折れなかったけど」
師「骨が折れてたまるかい。大体,一年と十二ヵ月ってのは二年じゃないか」
熊「“二年”て言うよりなお景気がいいや」
師「そんなものに景気をつける奴があるかい」
熊「で大家さんときたらね,店賃を払う気がないんなら家を空けろって,わからねえことを言いやがんだよ」
師「お前さんの方がわからないよ」
熊「なに家を空けるのはいいんだよ。替わりの家を建ててくれりゃあ」
師「言うことが変だな」
熊「とにかく替わりの家を探してほうぼう歩いてたんだよ。それで忙しかったんでさァ」
師「そうか。いい所が見つかったか」
熊「ええ。同じような貧乏長屋」
師「ああ,そこへ引越したのか」
熊「引っ越したといえば引っ越した。引っ越さねえといえば引っ越さねえ」
師「荷物を運んだんだろ」
熊「いいえ,何にもねえ。家財道具はみんなバタ屋にたたき売っちゃったんですよ」
師「じゃあ体だけか。ヤドカリだねまるで。けどそりゃ引っ越したんだ」
熊「うん。でも家ン中はいっても何にも品物がねえでしょう。友達なんかがきたらバカにしやがるよ。熊公の家はやたら広い広いって。だから考えましてね。壁へ白い紙をきれいに貼っちゃったんですよ。ひとつそこへ先生に家財道具を描いてもらおうと」
師「だって絵じゃ仕様がないだろ」
熊「いいんですよ。絵で。あるつもりでいりゃいいんだ。あっしゃあね,昔から気で気を養うのが好きなんです。何でも“つもり”でことをすましちゃう。例えばあっしが表を歩いてますね。向こうからいい女が来れば,ありゃおれの女房のつもり」
師「都合がいいなァ」
熊「だから先生,描いてくださいよ。ふだんから先生言ってるでしょ。私はまずい絵を描くって。まずい絵でいいんですよ。他にいねえから」
師「人にものを頼むのにそんな言い草があるかい」
熊「そんなら先生は大変な名人だそうで」
師「急にほめるな。わかった,描くよ。そこに絵の道具が入った箱があるから,それを持って一緒に来ておくれ」
【Act Ⅱ】
熊「先生,この長屋なんですがね」
師「ほう,なかなかしっかりした家じゃないか」
熊「こっちへあがってください」
師「またずいぶんきれいに白紙を貼ったな」
熊「さっそくですいませんがねえ,正面へ床の間を頼みますよ」
師「お待ちよ。用意するから・・・ここかい・・・じゃあこんな具合でいいかい」
熊「あれっ,うまいねえ。先生,まずかないよ。本物みてえだ。その調子で脇へたんすをお願いしやす。桐じゃなきゃだめだよ」
師「はいはい」
熊「ああ,たんすは少し開けといてください。そこから絹の着物とね,紋付きの羽織,帯に袴ね。そういうのがちょっと出てる」
師「注文がややこしいな」
熊「その上へ舶来品の置時計をお願いします。ラジオも置こう。ちゃんと天気予報が聞こえるやつだよ」
師「おい描いたものが聞こえるかい」
熊「無理かな。描いた竜が水を飲みに行ったって話を聞いたことがあるが,先生は大して名人じゃないな。じゃあ今度はこっちへ茶だんすを描いて,一番上には洋酒が並んでる」
師「わかった,はい」
熊「真ん中の段に茶道具が一式揃ってまして,一番下にはようかんが厚めに切ってある」
師「これでいいのかい」
熊「うまそうだな。楊枝も描いて」
師「描いたよ」
熊「じゃあ今度はこっちへ長火鉢を描いて,鉄瓶のお湯がチンチン沸いてる」
師「うん」
熊「湯気をあげて」
師「はいよ」
熊「押入れには絹の布団」
師「ほら描いたよ」
熊「仏壇に本棚。本は難しそうなのがいいよ。字は読めねえけど」
師「はい,他には?」
熊「そうだ。猫板の上に猫を一匹お願いします。あくびしてるところを。おお三毛だね。それから・・・そうそう,なげしへ槍を一本お願いします」
師「槍なんぞは,お前さん,いらないだろ。見る人に見られたら怒られるよ」
熊「あったほうがいいんですよ。友達なんか来てもさ,槍があると,こいつんとこは先祖は侍なんだなって尊敬するから」
師「尊敬しやしないよ。第一,あたしゃ手が届かないよ。高すぎちゃって」
熊「ああ,じゃあ下に踏み台を描いて乗るといいよ」
師「描いた物に乗れるかい」
熊「そうか。しょうがねえ。あっしが台になりますから背中に乗ってください。もう,重いね,どうでもいいけど・・・描けましたか?どうも。おっと立派な槍だ。先生,今度は台所に行ってください」
師「まだあるのかい」
熊「そこんところへね,へっついをお願いします。で,釜がかかってましてね。火が燃えてる」
師「火なんかいいだろう」
熊「その方が景気がいいんですよ。それから鍋に包丁に。ああ,脇に焚き木がなきゃいけないじゃないか」
師「怒られながらやってるよ。はいよ」
熊「そうだ。金庫が必要だな」
師「金庫?」
熊「うん,扉が甘く開いてましてね。中にはこれ見よがしに札束が入ってる」
師「ぶっそうな金庫だな」
熊「はい,もういいや。ありがとう」
師「ああ疲れた」
熊「お疲れ様。先生の家にお茶があるから飲んでください」
師「そのくらいお前が出したらいいだろう」
熊「そりゃ出したいけどさ,なにもねえんですよ。ようかんならあるけど」
師「それはさっきあたしが描いたんじゃないか」
熊「仕様がないよ。またお礼にうかがいますから。はいお帰りはあちら。行っちゃった。あっはっは,ありがたい。おかげで見違えちゃった」
【Act Ⅲ】
泥棒(以下,泥)「・・・最近また目が悪くなりゃがったかな。こう夜になると目がかすんでいけねえや・・・ん?ここは人が住んでいないと思ったが,誰か越してきたかな・・・ありゃ,なんだいすごい家だよ。金目のモンばっかりだ。・・・だらしのない顔の奴が寝てるよ。こいつはきっと留守番係だな。ほかには誰もいねえや・・・ふっふ,かわいい猫があくびしてやがら。あっと,へっついに火がおきたままだよ。仕方ねえ留守番だな。こういうところから火事がおきるんだよ。それよりこりゃ仕事のしがいがあるぞ・・・主人なんかが帰ってくる前に・・・いいたんすだねえ。総桐じゃねえか。今時,珍しいぜ・・・でも引き出しがつかみにくいな。おれも長年やってるけどこんなつかみにくい引き出しは初めてだよ・・・あれ?あれ?つかみにくいわけだ!こりゃ絵で描いてあるんじゃねえか。でも何だってこんなことを・・・」
熊「・・・ん?ん?あれ?アッ泥棒が入ってる。クスッ,たんすの前で弱ってら。見ててよう」
泥「わかった。今はたんすはないけれども,後で買ったらここへ置こうってんで,しるしに絵を描いたんだな。ヘヘッ,たんすなんざいいよ。見りゃ金庫にたくさん金が入ってやがる。こっちの方が軽いし使い勝手があるからな。じゃこっちを・・・あ!これも描いたもんだよ!おい,そういえば猫があくびしっぱなしじゃねえか。なんだい,どれもこれも・・・この野郎,なんにもないもんだから絵を描いて,あるつもりでいるんだ。どうしよう。待てよ,俺もこの稼業が長えんだ。人の家へ入って何も盗らずに出て行くわけにはいかないぞ。よし,こいつがあるつもりでいるんなら,俺も盗ったつもりでやってやろう・・・まずはと,大きな風呂敷を広げたつもり。たんすの一番下の引き出しをスッと開けたつもり。お召しの着物をゴッソリもらったつもり。このまた上の引き出しを開けたつもり。羽二重の長襦袢があったつもり。博多の帯もあるぞ。これももらったつもり。そのまた上を開けて,粋な着物をもらったつもり。とにかく,たんすの中のは全部風呂敷におさめたつもり。上に置いてある置時計もラジオももらったつもり。金庫の札束をグッと百万円くらいふところへ入れたつもり。風呂敷をギュッと結わいてドッコイショッとかついだけれども,重たくって持ち上がらないつもり・・・」
熊「プッ,粋な泥棒が入って来やがったね。ハッと目を開けたつもり!」
泥「あっ見つかったつもり!」
熊「“こら泥棒っ”と叫んだつもり」
泥「あわてて荷物をかつぐつもり」
熊「絹の布団をはね上げたつもり」
泥「荷物は重いからあきらめて下ろしたつもり」
熊「たすきを掛けたつもり」
泥「ふところの金だけ持って逃げるつもり」
熊「なげしにある槍を取ったつもり」
泥「痛テッ。転んだつもり」
熊「槍を振りまわしながら追いつめたつもり」
泥「四つん這いでウロウロするつもり」
熊「腹をズブッと刺したつもり」
熊「“ギャーッ”と悲鳴を上げたつもり」
熊「グイグイと腹をえぐったつもり」
泥「くーッ。だくだくっと血が出たつもり」