お仲入り(into二代目桂春団治)

お仲入り  Vol.2
“舌先の交響曲”二代目桂春団治
  明治二十七(1894)年〜昭和二十八(1953)年 <上方>
桂春団治という名前は現在まで三代続いています。それぞれ名人と言われてきましたが,初代があまりに怪物的であったので,その分,後の師匠連を蔭らせてしまった気がします。私達と時を同じくして生きる三代目は知られていますが,今回は,あたかも幸福の楽器のような二代目をピックアップしたいと思います。


1.初代との比較
何と言っても異なる点は声です。初代はいわゆるダミ声です。私は,全落語家の中で最も良い声をしていたのが二代目春団治だと思います。両者が共に十八番としている『いかけや』を聞くと明らかでしょうか。じゃあ実力は二代目の方に軍配が上がるかというと,そうとも限りません。二代目には,初代が持つドロドロしたものがないのです。あくまで素人考えですが,モーツァルトブラームスのような感じがします。ラーメンなら,あっさりの醤油と油そば?ストーリーの構成の仕方から見ても,初代がゾッとするような発想をするのに対し,二代目のものは清らかすぎるほどでした。


2.吉本興業について
吉本興業の創業者の一人,吉本せい氏の薦めもあって師匠の春団治を襲名することが出来た二代目ですが,吉本との関係が芳しくなくなり,ついに五年ほどの裁判が起きます。発端は,二代目は東京でも仕事をしたかったのですが,東京の寄席というのは,落語協会と日本藝術協会(現・落語藝術協会),こういった芸人グループと席亭(寄席の支配人)の間で,出演が決められていました。演芸会社はあまり関係がなかったのです。二代目は東京へ出たい。そこで,吉本から離れることにします。けれど吉本は二代目に「専属契約を解くんやったら,初代の借金を払え」と言いました。二代目は驚きますが「なんで私がそれを払わなあきまへんねん」と抵抗する。さきほど,初代と二代目を見比べてみましたが,金銭の面でも,この師弟は異なっていたようです。こうして,二代目は東京・静岡・名古屋・京都・大阪・神戸といった大都市で桂春団治を名乗ることが出来なくなりました。
そういえば,近年,桂文珍師がNGK(本当は,なんばグランド花月の略)のことを“なんぼ 銭稼いだら 気がすむねん”と言って笑わせていました。さかのぼると,まだ芸人が博打と切っても切れないような縁があった大昔から,吉本興業は活躍していたのですね。これでは,社員はいやでも海千山千になるはずです。今でこそ劇場も企画もスタイリッシュに作っていますが,当時は,もっとずっと商いの匂いがする所だったのかも知れません。


3.ギャラは三亀松の倍
今,私達が二代目の落語を聴こうと思ったら『春団治十三夜』の録音のみとなります。これは,朝日放送が行った師の晩年のライブのもので,その時に出された出演料は三万円でした。これはどれほどの額なのでしょうか。当時,最もギャラが高かったのが柳家三亀松。この人は落語家ではなく,音曲師といって,いわゆる色物芸人です。詳しい説明は避けますが,艶っぽい芸で,出したレコードは30種以上が発禁になっているほどですが,それだけ人気があったといえます。その三亀松が一万円代前半という時代。二代目の値打ちは沸騰していました。


4.明治,大正,昭和,戦争
二代目春団治は,明治から三つの時代を生き抜いてきました。そこには,太平洋戦争もまるごと含まれています。中国に慰問に行き,落語を終えた後に最高のご馳走として振舞ってもらったのが紅茶だったという話もあります。このようなキナ臭い時代にあっても,二代目の明るい芸は磨かれていきます。
こういう話もあります。兵庫の西宮市役所が死人の山となっていた時,奥さんが軍需課へ行き「家族が焼け出されて清荒神まで帰りますので,トラック一台,手配お願いします」と頼むと,なんと引き受けてくれました。これは,二代目が吉原製油や神戸製鋼に慰問に行っていたことの賜物のようです。


5.結論!
二代目は,亡くなる間際に「緞帳(どんちょう)」「おかあちゃん」という言葉を繰り返していました。舞台と家族。昏睡状態の二代目の頭に最後まで残ったものです。一般的に,芸人というと“芸の肥やし”と称して遊び歩いてしまうイメージもありますが,二代目の純粋で真摯な生き方は魅力的です。
性格もやはり温厚で,富貴(二代目が主な仕事場とした京都の寄席)の楽屋でも,後輩芸人が唯一話しかけやすかったのが,一番偉いこの人だったといいます。休みの日も朝は六時起床也。
東京の落語界には,柳派三遊派があります。前者は滑稽を主体とし,後者は人情を主体としています。私はたまに,芸人はどちらであるのが正しいのか考えています。喜劇でいえば,吉本なのか松竹なのか。文学でいうと,直木系のエンターテイメント小説と,芥川系の純文学はどちらが優れているか・・・。これらの問題が同じになるかは微妙ですけれど,エンターテイメントを極めることは,それはそれで凄いと思います。二代目はやはり前者ですね。前回の「お仲入り」で取り上げた圓喬が後者・芸術系の最高峰といえると思います。初代春団治は基本的には前者ですが,かなり後者の要素も持っていたのでは。
今回は,色々なものを引き合いに出して,二代目桂春団治を考えてみました。皆様をややこしくさせてしまい,お詫びいたします。どうか『十三夜』をお聴きになってみてください。高周波の音はヒーリングの効果もあるかも知れません。