本編

【Act Ⅰ】
お花(以下,花)「もし,お武家さま」
侍「どうした。女中さんか」
花「はい。往来で失礼でございますが,実は,お願いがあるのでございます」
侍「うん,どうした」
花「わたくしは,江戸へ出て,今はそこの店(たな)に奉公しております。母は遠い田舎にいるのですが,あちらから赤紙つき(速達)の手紙がまいりました。この間,母が体が悪いということを聞きました。心配しているところへ,この手紙。一刻も早く読みたいのですが,わたくしには字が読めません。いつもであれば,手前共の番頭に読んでもらうのですが,あいにく出ております。どうか,お願いいたします」
侍「この手紙を拙者に読めというか」
花「はい。どうか」
侍「・・・うん・・・これか・・・ん」
花「やはり,母のことが書いてありますでしょうか」
侍「残念だが,手遅れであるぞ」
花「え?そうですか。やはり悪い知らせでございましたか・・・ううっ」
【Act Ⅱ】
○「おう,たっつぁん。あそこで,若い侍と若い女が泣いてるぜ」
△「うん。どうしたんだろうなあ」
○「俺は,わかるよ。もともと,同じ屋敷に奉公してたんだ」
△「そうか」
○「うん。片っぽは奥方づきの女中さんで,片っぽは小姓っていう風だな。女も男も,その時期が来りゃあ,間違いくらい起こすよ。二人が人目を忍ぶいい仲になっちゃった」
△「なァるほど」
○「お屋敷ってものは固いや。見つかっちゃって,本来ならば“不義はお家のきつい法度”で手打ちになるところなんだけれど,奥方の情けで,あの二人はこっそり裏門から追い出された」
△「ふんふん」
○「すると男は“俺はこれから身を立てるためには,お前と一緒にはいられない。お前も,またどこかへ奉公なりしてくれ”と言ったら,女が“私は,あなたの子を宿したために,奉公など出来ません。あなたと別れるくらいなら,いっそ死んでしまいます”と言う。“それなら,俺とお前と一緒に死のうじゃないか”ってことになってさ,泣いてるんだ」
△「そうか」
○「わからねえ」
△「わからねえって,何だよ。そりゃあ」
【Act Ⅲ】
焼き塩売り(以下,商)「えーー,焼ーーき塩ーーー。えーー,焼ーーき塩ーーー・・・も,もし,あなた方。どうしたんです。若い身空でお互いに泣いて。若い時は無分別をするもの。つぼみの花を散らすようなことがあってはいけません。あたしは,こんな爺ィでございますが,お侍様,あなたくらいのせがれがおります。けれど,これが道楽者で,どこへ行ったかわかりません。そんな奴でも,親としては心配でならないんですよ。あなた方も親御様がいらっしゃいます。変な気を起こさないで。そうだ,あたし共の所にいらっしゃい。二階が空いております。当分そこで落ち着いて,身を立てることを考えた方がいいのではないですか。爺ィは悪いことは申しませんから」
○「おい,あそこで今度は塩屋の爺さんも泣き出したぜ」
△「どうしたんだろうなあ,本当に。あそこは泣き所かなあ」
○「弁慶じゃねえやい」
侍「残念なことだ」
花「どうしたらいいでしょう」
お花の知り合い(以下,兄)「おう,お花」
花「あ,兄(あに)さん。大変なことになっちゃったの」
兄「どうしたい」
花「田舎から手紙が来て,今このお武家さまに読んでもらったら,もう母は手遅れだって言うんです」
兄「そうか。お武家様,あたしにも手紙を見せてください。はあ,お袋さんがなァ。まあ,しょうが・・・ない・・・あれ?おい,お花,この手紙は何だい」
花「どうして。おっかさんは死んだんでしょう」
兄「冗談言うな。お袋さんの病気が治っちゃったとよ。それに,お前,向こうに許婚(いいなずけ)がいるだろ」
花「ええ」
兄「その人が,奉公先の主人から,のれん分けさせてもらって,今度,店を持つんだとよ。そんで,お前を国に呼んで,婚礼の式を挙げたいんだとさ。大変にめでたいことが書いてあるぜ」
花「本当!?まあ,よかった。じゃあ,私,髪結いさんに行って,田舎へ」
兄「そう慌てなくてもいいやな。あはは,手紙を持って駆けて行っちゃった。ん。あのゥ,お武家様は,何でそこで泣いてるんです」
侍「残念だ。手遅れだ」
兄「残念,手遅れっておっしゃいますけど,お花のおっかさんは治ったらしいですよ」
侍「いや,拙者は手紙のことを言ったのではないのだ。拙者は子供の頃より武芸にばかり凝って,剣術,柔術,槍術,馬術,何一つ習わないものはなく,一人前の武士になったと思っていたが,今日,ふみの中のほんの一字も読めなかった。それが,農工商の上に立つ武士が往来で,読めないなどと言えない。なぜ自分は学問を習わなかったのか,残念だ。けれど,もう手遅れだ。と,自分に言って泣いていたのだ」
兄「ああ,そうだったんですか。ところで,わからないのは,この塩屋の爺さんだよ。何だって泣くんだい」
商「若い方のことですから無理もありません。いや,年を取ると涙もろいタチになっていけません。あたしは商売もそうなんです」
兄「商売も?」
商「はい。こう天秤を肩にあてて,泣ーーき塩(性)ーーー」