本編

【Act Ⅰ】
お光(ミツ。以下,光)「あんた,お起きなね。そんな所で寝たら風邪をひくじゃないか。あら,鼻から提灯を出してる。あ,なくなったよ。また出た。お祭りの夢でも見てんのかしら。今度は難しい顔してぶつぶつ言い始めたね。どんな夢見てるんだろうね。ちょっと,ちょっと,起きておくれよ」
熊吉(以下,熊)「ああッ。あーあ,寝てたか」
光「あんた,今,なにか夢見てたね。どんな夢を見たのさ」
熊「夢?夢なんざ,見てねえやな」
光「そんなことないよ。笑ったり,難しい顔したりさ,ブツブツ言ったりしてたよ。面白い夢を見たんだね」
熊「見ないよ」
光「見ただろ。隠すことないじゃないか」
熊「見てないってば」
光「ああ,わかった。あたしに言えないような夢なんだね。大丈夫だよ。あたしが悋気だっていっても,たかが夢じゃないか。二人で笑ったら,それでおしまいじゃないの。お言いよ」
熊「そりゃ,見たら見たって言うけどもさ,見てないんだから仕方ねえじゃねえかよ」
光「お前さん,きっと見てたよ。長年連れ添う女房にものを隠すんだね」
熊「違うってのに」
光「なんだい。そんな人だと思わなかったよ」
熊「いい加減にしろよ。この野郎」
光「ふん。気に入らないなら,ぶつなど蹴るなど好きにすればいいじゃないか。さあ殺せェー」
辰公(以下,辰)「おおっと,おい,待て,待て。喧嘩するんじゃねえ。のべつだよ,本当に。熊さん,お光っつぁんも。一体,どうしたんだよ。俺に言ってみな」
光「まあ,どうしたって。聞いておくれよ。この人が,さっき夢を見たようなんだよ。だから,どんなのだったかちょっと教えとくれって言ったら,見てないって嘘をつくだろ。くやしいじゃないか」
辰「おい,何かい。夢のことで,そんな喧嘩してたのかい。ッたく,子供がいないからだよ。自分達が子供みたいになってやがら。でも,夫婦で隠し立てするってのも,よくねえなァ。おい,熊さん,どんな夢見たんだい」
熊「俺は夢見てねえんだって」
辰「お前と俺とは兄弟分の間柄じゃねえか。なあ,苦しい時の貸し借りなんかもしてらあ。第一な,俺は口が固いよ。他人には口が裂けてもばらさねえ」
熊「見たなら,さっき自分の女房に言ってるよ。でも,見ねんだから,どうしたって仕様がねえだろ」
辰「ああ,そうかよ。水臭い野郎だ。お前みたいな奴と兄弟分なんて言ってた手前が恥ずかしいや。縁を切ろうじゃねえか」
熊「どうにでもしろやい。殴りつけるぞ」
辰「この野郎ッ」
【Act Ⅱ】
大家(以下,大)「待て,待て,どうした。こんな喧嘩の多い長屋ってのはねえな」
辰「いや,俺はね,この夫婦が喧嘩してたから仲裁に来たんだよ。そしたら熊公が夢見てたのに,どんなのを見たのかお光っつぁんに言わねえってんだ。夫婦で隠し事するもんじゃないだろ。だから,俺に言ってみなって言ったらさ,見てねえなんて出まかせ言うんだよ。俺なんか,こいつとは兄弟分の間柄だよ。しゃくに障るじゃねえか」
大「辰,わかった。仲裁は時の氏神だあな。お前も偉かったが,自分の家に帰れ。あとな,他人のことに顔を出してるが,店賃しっかりしろよ。お前は三つもたまってら。それから熊とお光っつぁんもな,夫婦喧嘩は犬も喰わないってんだろ。夢の話なんかで一々喧嘩してたんじゃ,周りも大変じゃねえかさ。仲良くした方がいいや。まあまあ,お光っつぁんも泣くない。おい,熊,こんなことじゃ仕様がねえぞ。ちょっと俺の家に来るんだ・・・・・・さあ,入れ」
熊「すみませんでしたねえ。大家さんにまで迷惑かけちゃって。あっしも,参ってたんですよ」
大「初めにお光っつぁんが聞きたがって,それから辰公が聞きたがった夢の話だな。それ,ちょっと俺に教えてみな。大分,面白そうらしいな。いや,辰には言わなくてよかった。あいつほど口の軽い奴はいねえんだ。その点,俺は言うなと言われれば絶対に言わないぞ」
熊「いえッ,ですから,あっしは初めっから,夢なんて見てねんですよ」
大「わかる。人に言いたくない夢を見るってことはあるもんだな。でもな,大家といえば親も同然,店子といえば子も同然だ。え?親の俺に対して,きまりが悪いこともないだろう」
熊「それが本当に見てねんですって。そりゃあね,嘘でもいいんなら喋ってますよ。うーん,狸と相撲を取ったら相手のシモのが土についてて勝ったとかさ。でも嘘は嫌なんだよ」
大「そうかよ。いいか。言いたくはないが,大家といえば町役人だ。その町役の俺が言えと言ってるのに,逆らっていいと思うのか」
熊「ええ,言いませんよ。見てねんだもの」
大「よし,じゃあ仕方ねえな。今日限りで家を空けてもらうからな」
熊「そりゃ無茶ですよッ」
大「無茶なことあるものか。貸した時の証文には“いつ何時でもお入用の際は家を空けます”と書いてある。出て行け」
熊「嫌なこった。こうなりゃ,出るとこに出たって俺は動かねえぞ」
大「なんだ。町役を向こうに回して公事立てする気か。ようし面白い。何がなんでも出してやる」
【Act Ⅲ】
奉行(以下,奉)「一同,揃いおるか。うむ。家主 徳兵衛,面を上げいッ。願書のおもむきには,その方,店子 熊吉が,見た夢の話をしないがために,店立てを申し渡したとあるがまことか。何,まことか。この,たわけ者めッ。町役とか家主という者は,町人の鑑とならなければならないものじゃ。それを,たかだか夢の話を聞きたがり,喋らないので家を空けろなどとは不届千万。かかる馬鹿々々しきことで上(かみ)の手を煩わしおって。きっと叱りおくぞッ」
大「ははァーッ」
奉「これ,熊吉。その方は家を空けるに及ばん。裁きはこれまで。一同,立ちませい!それから,熊吉とやら,ちとこちらへ参れ」
熊「へへえッ,このたびは有難うございました」
奉「奉行というものはだな,当然のことながら,その方達,下々の事柄にも通じておる。しかし,夢のことまでは,さすがに将軍家のお目がかかって奉行職を勤める余の身でも,わかる道理はない。一体,下々の者がどのような夢を見ておるのか,やはり奉行としては知っておく必要があるな」
熊「へえ,何ですっ」
奉「初めに女房が聞きたがり,隣家の男が聞きたがり,続いて家主が聞きたがった夢の話。奉行には言えるであろう」
熊「いえ,あっしは夢なんか見てないんですよ」
奉「これ,天下の奉行の前で隠す気であるか」
熊「隠すも何もねんですよ」
奉「そうか。それでは重き拷問にかけても吐かせてみせる。おいッ,この者に縄を打てッ。よいか,夢の話を言うまで縄を解くことはならんぞ!」
熊「うへっ。寄ってたかって,こんな松の木にぶら下げやがって・・・・・・痛たたたッ。縄が食い込んできた。日も暮れてきちまったよ・・・・・・ん?何だいッ,この風。うっ,うわーーー」
【Act Ⅳ】
天狗(以下,天)「心づいたか?」
熊「あら,山ん中にいるよ。縄もほどけてら」
天「ワシが助けてやった」
熊「お前さんは。てッ天狗さんですかい。話に聞く通り大きいね」
天「いかにも天狗である。久しぶりに江戸の上空を飛行しおれば,不思議なところを見た。奉行ともあろう者が,たかだか素町人の夢の話を聞きたいがために,拷問にまでかけるとは奇怪千万。あのような者に人は裁けん。不憫であったので,ワシが助けてやったのじゃ」
熊「へへえッ。有難うございます」
天「人間ごときが見る夢など,この天狗は聞きたくないから安心しろ」
熊「へえ」
天「初めに女房が聞きたがり,隣家の男が聞きたがり,続いて家主が聞きたがり,奉行までが聞きたがった夢の話だな。天狗はそんなもの知りたくはない。しかし,その方が喋りたいというのなら,特別に聞いてやってもよい」
熊「いえ,喋りたくないんですよ。夢も見てねえんで」
天「なにッ。天狗をあなどると,どういうことになるかわかるかッ」
熊「そ,そんなこと言われても困りますんで」
天「この長き爪で,その五体を八つ裂きにしてくれる。それッ」
熊「ギャーーー」
光「ちょっと,ちょっと,起きておくれよ」
熊「あ,あらら。夢かァ」
光「なにか夢見てたね。どんな夢を見たのさ」