本編

【Act Ⅰ】
亭主(以下,亭)「元気な子が生まれてよかったな。どうでえ,小せえくせに手の指も足の指も,ちゃんと五本ずつそろってやがらぁ。生意気に」
女房(以下,妻)「生意気じゃないよ。当たり前じゃないのさあ」
亭「あらッ。おい,おっかあ,動いたぜ」
妻「だって生きているんだもの」
亭「けど,どうしてこう赤い顔をしてるんだろうなァ。めでてェからって,一ぱい呑んで来たのかしら」
妻「ばかなことをおいいでないよ。赤いから赤ん坊っていうんだよ」
亭「なるほど,ちげえねえ。それにしても,おっかぁばかりに愛想しやがって,ちょっとくらい俺にも挨拶がありそうなもんじゃねえか。“おとっつぁん,こんにちは。このたびは色々とお世話になりました。末永くよろしくお願ぇ申します”とか何とか」
妻「あきれたねえ。まだ生まれたばかりだよ」
亭「明日,歩くのかな」
妻「そんなすぐ歩いたら化け物だよ。じゃあ,そろそろこの子にお乳をやるかね」
亭「お前ばっかり何かやってら。俺のすることがねえじゃねえか」
妻「それが,お前さんじゃなきゃいけないことがあるよ。今日はこの子の七夜だよ」
亭「え,質屋?ああ,赤ん坊を質屋に連れて行って,これが大きくなりましたら,親父同様,質を置きにきますから,値ェよく貸しておくんなさいと」
妻「赤ん坊を質屋に連れて行く人もないもんだよ。生まれて七日目だから七夜じゃないかさ」
亭「ああ,初七日か」
妻「それは亡くなって七日目だろ。もう。今日はまた産婆さんを呼んで,ちょっとお祝いをして,この子に名前もつけないと」
亭「そうか,名前か。貧乏人でも名のねえ奴はいないからな」
妻「金持ちだから名前があるってものじゃないさ。うんといい名をつけておくれ」
亭「男だから強い名前じゃないとな。虎とか熊とか」
妻「それもいいけど,ありきたりだねえ」
亭「じゃあ,象とかウワバミとか」
妻「もう少し人間らしくしておくれよ」
亭「金太郎とか清正公さまとか」
妻「五月人形になっちゃったね」
亭「ちぇッ。人のあげ足ばかりとってやがら。お前はどんな名前がいいんだよ」
妻「あたしは,いい男になってもらうように,華やかな名前がいいねえ。海老蔵とか幸四郎とか」
亭「役者じゃねえか。なにかいい名前の出物はねえかなあ」
妻「どうだい,だんな寺で名前をつけてもらうと長命するっていうよ。お寺へ行って,お坊さんに考えてもらったら」
亭「ふざけるない。寺の坊主は長生きする者はお客にならねえからって,ろくな名前をつけるもんか」
妻「そうでないさ。凶は吉にかえるっていうよ。あべこべでいいんじゃないかね」
【Act Ⅱ】
亭「じゃあ,行ってきようか・・・・・・ええと。お,ここだ。ごめんよォ」
和尚(以下,坊)「これはこれは。たいそうお早いご仏参で」
亭「墓参りじゃねえんですよ和尚さん」
坊「ああさようですか。なにか改まったご用でも」
亭「いえェ,このたびはおめでとうございます。玉のような男の子がお生まれになったそうで」
坊「それはどちらじゃな」
亭「こちらじゃな」
坊「なに,ご家内が安産なすったか」
亭「そう。やすやすとご難産」
坊「やすやすと難産というのはない。いや,おめでとうございます」
亭「ところでねえ,今日は七夜で名前をつけるんだがね。かかあの言うには,寺の坊主にでもつけてもらおうと」
坊「ははは,これは愚僧,たいそうなお見立てにあずかりましたな。委細承知しました」
亭「頼んます。いつまでも死なねえ証文つきの名前を見つくろってくださいな」
坊「証文といいますが,生あるものは必ず死ぬ。これを仏説では“生者必滅会者定離”と申します。まあまあ,こちらへお上がりください。なれど親の情として子の長寿を祈るというは無理からぬこと。どうです,鶴は千年といってめでたいが,鶴太郎とか鶴之助というのは」
亭「そうすね。でも千年じゃあ,千年たったら死んじまうからなァ。もっと長いのはありませんか」
坊「千年じゃ不足かな。では亀は万年というから亀の字を取ってみましょうか」
亭「亀はだめだ。縁日に行くと金魚屋が亀の子をぶら下げてるでしょう。頭をちょいと触ると首を引っ込めちまう。どうも出世が出来なさそうだ」
坊「立派な人だっていますがな。ただ,あなたがお嫌なら仕方ない。では,松はいかがですかな」
亭「松はいかねえ。ありゃ,難しいんだ。どんな上手な植木屋でも,植え換えると枯れちまう。土地が替わるたんびに枯れちゃなぁ」
坊「竹は強い性だが」
亭「たけの子は頭を出すと,みんなに折られちゃうじゃねえか。運良く折られなくても,青くってヒョロヒョロになるから心配でさあ」
坊「松竹梅といって梅も縁起がいいとされる」
亭「いけない,いけない。花が咲けばむしられる。実は樽の中に漬けられるんだ。食う人間はいいけれど,食われる方の身になったら面白くないや」
坊「そういちいち理屈をつけられては困りますな。では,経文の中には有難い言葉がたくさんあるが,お経から探してみますかな」
亭「お経でも何でも,長生きしてくれればいいよ」
坊「無量寿経という経文がある。この中にある言葉で寿限無というのはどうじゃな」
亭「何です。そのジュゲムってのは」
坊「寿(よわい)限り無しと書いて寿限無。つまり死ぬことがないという意味です」
亭「それそれ。そういうのがいいんだ。それを一つ。他にもありますか」
坊「長い経典ですから,いくらでもあります。五劫の摺り切れ(ず)というのはどうじゃ」
亭「ゴコウノスリキレってのは」
坊「三千年に一度ずつ,天人が下界へ来て衣で岩をなでる。それで岩が擦り切れてなくなってしまったら,これが一劫。五劫というから億万年にもなります」
亭「しめしめ,それもいいね。まだありますか」
坊「海砂利水魚というのはいかがですかな」
亭「なんですえ。それは」
坊「海砂利は海の砂利だ。水魚は水に棲む魚。とてもとても獲り尽くせないのでめでたいな」
亭「なるほど海砂利水魚はいいね。他には」
坊「水行末,雲行末,風来末などというのがある」
亭「なんのこってす」
坊「水の行く先,雲の行く先,風の行く先。いずれも果てしがないことじゃ」
亭「もらった」
坊「人間,衣食住は外せないから,食う寝る所に住む所とはいかがじゃ」
亭「そりゃそうだ。これは外せないね。もうありませんか」
坊「ヤブラコウジのブラコウジなどは」
亭「お前さん,からかってないかい」
坊「そんなことはない。藪柑子という木はまことに強いもので,春には若葉を生じ,夏に花咲き,秋に実を結ぶ。冬は赤き色をそえて霜をしのぐ,めでたい木じゃ」
亭「ははぁ,聞いてみなくちゃわからねえね」
坊「ついでだから話をしますがな,昔,唐土(もろこし)にパイポという国があって,そこにシューリンガンという王様とグーリンダイというお后がいた。あいだにポンポコピーポンポコナーという姫が生まれて,この二人はとても長寿だったそうな」
亭「へえ,外国のめでたいのを入れちまうなんてのもいいな」
坊「長久(チョウキュウ),長命とは文字どおり有難い。二つ合わせて長久命というのはどうだな」
亭「うん,うん」
坊「男の子なら,月並みだが長助という名前もよい。長く助ける」
亭「わかりました。すみませんがねえ,さっきからの名前をみんな,紙に書いてくれませんかね」
坊「はいはい。書いて進ぜましょう。ああ,カナで。はい・・・・・・それでは,この内から良いのをお取りなさい」
亭「ありがとうございます。なるほど。初めが寿限無だ。寿限無寿限無,五劫の摺り切れ。海砂利水魚の水行末,雲行末,風来末,食う寝る所に住む所。ヤブラコウジのブラコウジ,パイポパイポパイポシューリンガンシューリンガングーリンダイグーリンダイポンポコピーポンポコナーの長久命の長助か。ううん。どれをつけても,後でやっぱりこっちにすりゃ良かったってことになるとつまらねえ。和尚さん,面倒くせえからみんなつけちまうよ」
【Act Ⅲ】
隣のお婆さん(以下,隣)「はい,ごめんなさいよ」
亭「おう,お隣のお婆さん。おいでなせえ」
隣「年を取ると困ったもんだよ。昨日,赤ん坊の名前を聞いて,覚えようと思ってもなかなか大変でねえ。今日は,いっぺんやってみるから,間違いがあったら教えておくれ。ええ寿限無寿限無,五劫の摺り切れ,海砂利水魚の水行末,雲行末,風来末,食う寝る所に住む所,ヤブラコウジのブラコウジ,パイポパイポパイポシューリンガンシューリンガングーリンダイグーリンダイポンポコピーポンポコナーの長久命の長助,南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
亭「南無阿弥陀仏は余計だよ。お経と間違えてやがら」
【Act Ⅳ】
近所の友達(以下,友)「おーい,寿限無寿限無,五劫の摺り切れ,海砂利水魚の水行末,雲行末,風来末,食う寝る所に住む所,ヤブラコウジのブラコウジ,パイポパイポパイポシューリンガンシューリンガングーリンダイグーリンダイポンポコピーポンポコナーの長久命の長助くーん。学校に行ーこーう」
妻「おはよう。みんな,ありがとね。まだ寝てるから,すぐ起こしますからね。ほらほら,寿限無寿限無,五劫の摺り切れ,海砂利水魚の水行末,雲行末,風来末,食う寝る所に住む所,ヤブラコウジのブラコウジ,パイポパイポパイポシューリンガンシューリンガングーリンダイグーリンダイポンポコピーポンポコナーの長久命の長助や,お友達が呼びに来てくれたよ。なんだねえ,お前も七つなんだから,自分で起きないといけないじゃないか。ほら寿限無寿限無,五劫の摺り切れ,海砂利水魚の水行末,雲行末,風来末,食う寝る所に住む所,ヤブラコウジのブラコウジ,パイポパイポパイポシューリンガンシューリンガングーリンダイグーリンダイポンポコピーポンポコナーの長久命の長助。寿限無寿限無,五劫の摺り切れ・・・」
友「おばさんッ,学校に遅れるから先に行くよっ」
金坊(以下,金)「ワーン,ワーン。おばちゃーん。お前んとこの寿限無寿限無,五劫の摺り切れ,海砂利水魚の水行末,雲行末,風来末,食う寝る所に住む所,ヤブラコウジのブラコウジ,パイポパイポパイポシューリンガンシューリンガングーリンダイグーリンダイポンポコピーポンポコナーの長久命の長助が,今日,学校の帰りにオイラの頭をぶってコブをこしらえたよう」
妻「あらまあ,金ちゃん。うちの寿限無寿限無,五劫の摺り切れ,海砂利水魚の水行末,雲行末,風来末,食う寝る所に住む所,ヤブラコウジのブラコウジ,パイポパイポパイポシューリンガンシューリンガングーリンダイグーリンダイポンポコピーポンポコナーの長久命の長助が,お前の頭にコブを作ったって。とんでもない子だねえ。ちょいと,あんた聞いたかい。寿限無寿限無,五劫の摺り切れ,海砂利水魚の水行末,雲行末,風来末,食う寝る所に住む所,ヤブラコウジのブラコウジ,パイポパイポパイポシューリンガンシューリンガングーリンダイグーリンダイポンポコピーポンポコナーの長久命の長助が,金ちゃんに乱暴したんだとさ」
亭「本当か。うちの寿限無寿限無,五劫の摺り切れ,海砂利水魚の水行末,雲行末,風来末,食う寝る所に住む所,ヤブラコウジのブラコウジ,パイポパイポパイポシューリンガンシューリンガングーリンダイグーリンダイポンポコピーポンポコナーの長久命の長助はとんでもねえ野郎だ。どれ,金坊,頭を見せてごらん。ん,あれ。コブなんかねえじゃねえか」
金「あんまり長いから引っ込んじまったぃ」