お仲入り(into二代目桂春団治)

お仲入り  Vol.2
“舌先の交響曲”二代目桂春団治
  明治二十七(1894)年〜昭和二十八(1953)年 <上方>
桂春団治という名前は現在まで三代続いています。それぞれ名人と言われてきましたが,初代があまりに怪物的であったので,その分,後の師匠連を蔭らせてしまった気がします。私達と時を同じくして生きる三代目は知られていますが,今回は,あたかも幸福の楽器のような二代目をピックアップしたいと思います。


1.初代との比較
何と言っても異なる点は声です。初代はいわゆるダミ声です。私は,全落語家の中で最も良い声をしていたのが二代目春団治だと思います。両者が共に十八番としている『いかけや』を聞くと明らかでしょうか。じゃあ実力は二代目の方に軍配が上がるかというと,そうとも限りません。二代目には,初代が持つドロドロしたものがないのです。あくまで素人考えですが,モーツァルトブラームスのような感じがします。ラーメンなら,あっさりの醤油と油そば?ストーリーの構成の仕方から見ても,初代がゾッとするような発想をするのに対し,二代目のものは清らかすぎるほどでした。


2.吉本興業について
吉本興業の創業者の一人,吉本せい氏の薦めもあって師匠の春団治を襲名することが出来た二代目ですが,吉本との関係が芳しくなくなり,ついに五年ほどの裁判が起きます。発端は,二代目は東京でも仕事をしたかったのですが,東京の寄席というのは,落語協会と日本藝術協会(現・落語藝術協会),こういった芸人グループと席亭(寄席の支配人)の間で,出演が決められていました。演芸会社はあまり関係がなかったのです。二代目は東京へ出たい。そこで,吉本から離れることにします。けれど吉本は二代目に「専属契約を解くんやったら,初代の借金を払え」と言いました。二代目は驚きますが「なんで私がそれを払わなあきまへんねん」と抵抗する。さきほど,初代と二代目を見比べてみましたが,金銭の面でも,この師弟は異なっていたようです。こうして,二代目は東京・静岡・名古屋・京都・大阪・神戸といった大都市で桂春団治を名乗ることが出来なくなりました。
そういえば,近年,桂文珍師がNGK(本当は,なんばグランド花月の略)のことを“なんぼ 銭稼いだら 気がすむねん”と言って笑わせていました。さかのぼると,まだ芸人が博打と切っても切れないような縁があった大昔から,吉本興業は活躍していたのですね。これでは,社員はいやでも海千山千になるはずです。今でこそ劇場も企画もスタイリッシュに作っていますが,当時は,もっとずっと商いの匂いがする所だったのかも知れません。


3.ギャラは三亀松の倍
今,私達が二代目の落語を聴こうと思ったら『春団治十三夜』の録音のみとなります。これは,朝日放送が行った師の晩年のライブのもので,その時に出された出演料は三万円でした。これはどれほどの額なのでしょうか。当時,最もギャラが高かったのが柳家三亀松。この人は落語家ではなく,音曲師といって,いわゆる色物芸人です。詳しい説明は避けますが,艶っぽい芸で,出したレコードは30種以上が発禁になっているほどですが,それだけ人気があったといえます。その三亀松が一万円代前半という時代。二代目の値打ちは沸騰していました。


4.明治,大正,昭和,戦争
二代目春団治は,明治から三つの時代を生き抜いてきました。そこには,太平洋戦争もまるごと含まれています。中国に慰問に行き,落語を終えた後に最高のご馳走として振舞ってもらったのが紅茶だったという話もあります。このようなキナ臭い時代にあっても,二代目の明るい芸は磨かれていきます。
こういう話もあります。兵庫の西宮市役所が死人の山となっていた時,奥さんが軍需課へ行き「家族が焼け出されて清荒神まで帰りますので,トラック一台,手配お願いします」と頼むと,なんと引き受けてくれました。これは,二代目が吉原製油や神戸製鋼に慰問に行っていたことの賜物のようです。


5.結論!
二代目は,亡くなる間際に「緞帳(どんちょう)」「おかあちゃん」という言葉を繰り返していました。舞台と家族。昏睡状態の二代目の頭に最後まで残ったものです。一般的に,芸人というと“芸の肥やし”と称して遊び歩いてしまうイメージもありますが,二代目の純粋で真摯な生き方は魅力的です。
性格もやはり温厚で,富貴(二代目が主な仕事場とした京都の寄席)の楽屋でも,後輩芸人が唯一話しかけやすかったのが,一番偉いこの人だったといいます。休みの日も朝は六時起床也。
東京の落語界には,柳派三遊派があります。前者は滑稽を主体とし,後者は人情を主体としています。私はたまに,芸人はどちらであるのが正しいのか考えています。喜劇でいえば,吉本なのか松竹なのか。文学でいうと,直木系のエンターテイメント小説と,芥川系の純文学はどちらが優れているか・・・。これらの問題が同じになるかは微妙ですけれど,エンターテイメントを極めることは,それはそれで凄いと思います。二代目はやはり前者ですね。前回の「お仲入り」で取り上げた圓喬が後者・芸術系の最高峰といえると思います。初代春団治は基本的には前者ですが,かなり後者の要素も持っていたのでは。
今回は,色々なものを引き合いに出して,二代目桂春団治を考えてみました。皆様をややこしくさせてしまい,お詫びいたします。どうか『十三夜』をお聴きになってみてください。高周波の音はヒーリングの効果もあるかも知れません。

Green‐tea Break

圓生が,この噺を選んだ理由に,下品な所がないことと,ハッピーエンドで終わることがあったそうです。
その分,落語の醍醐味といえる恐ろしい「業」のような部分は“去勢”状態になっている感じですが,やっぱり名作ですね。

本編

【Act Ⅰ】
善六(以下,善)「あらら。何だい,こんな所に,旦那が大事にしてる徳利が転がってら。困ったな,どこにしまおうか。ああ,この水瓶の中でいいか。煤取り(大掃除)が終わったら,ちゃんと戻せばいいだろう」
主「・・・・・・いやあ,今年も疲れた。さて,お神酒をあげるとしよう。ん?おい,おい。誰か箱の中からお徳利を出した者はいないかい・・・・・・あの,みんな,ちょっと集まっておくれ。今日はご苦労様。おかげで綺麗になった。ところでだが,当家に伝わるお神酒徳利が見当たらないんだ。これは先祖が将軍家から頂戴した大切なもの。誰か知っている者はないか。銀の葵のご紋がついている・・・・・・うん,知らない。知らない?そうか。知らない。善六,お前はどうだ」
善「はぁ,存じ上げませんで」
主「そうか。いや,これは大変なことになった。あれは当家の家宝だ。みんな,本当ならこの後でお祝いをしたいと思っていたんだが,徳利が出たら,改めてお祝いをする。店の者は一度,休んでおくれ。通い番頭の者も今日は家に帰っておくれ」
善六の女房(以下,妻)「お帰りなさい。ずいぶん早かったじゃないか」
善「うん。お店でさ,旦那が一番大事にしてるお神酒徳利がなくなったんだ。ひょっとしたら店がつぶれる前兆じゃないかって青くなってるよ。だから,お祝いがなくなって,俺も何も食ってねんだよ。おやおや?この家も綺麗になったね」
妻「そう。今日は子供が大人しかったから,掃除がはかどったのさ。大神宮様にお神酒もあげてあるよ」
善「酒があるかい。じゃ,俺にも一杯つけてくれやい」
妻「ごめんね。鉄瓶にお湯がないんだよ。今,水を入れて来て,沸かすから待っておくれ」
善「・・・・・・あッ!大変だ。今,お前が水瓶に触ったのを見て思い出した。酒どころじゃねえっ」
妻「どうしたのさ」
善「お神酒徳利だよ。ありゃァ,俺が水瓶の中に放り込んだんだ。すっかり忘れてて,旦那に“お徳利を知らないか”って訊かれた時も“存じ上げません”て答えちまった。どうしよう。このことを言って“バカ番頭ッ”なんて怒られてもつまらないし」
妻「面目ない話だね」
善「そうだ。お前,俺の代わりに行って謝ってくれねえか。“亭主の粗相は女房の粗相ですから,あたしが髪を切って坊主になりますよ”とか言って」
妻「あたしが坊主になってどうするんだね。じゃあ,嘘をついて出したらいいよ」
善「どうすんだい」
妻「占いでもって,お徳利の場所を当てたってことにすればいいさ。あたしのお父っつぁんは易者だろ。あたしも少しは やり方を知ってるから教えるよ」
善「教えてくれたってなあ。習っても,すぐに当たるかしら」
妻「当たるも何も,徳利は水瓶の中に入ってるってわかってるんじゃないか」
善「ああ,そうか。それなら大概当たることになるな。それじゃ“易を立てたところ,お徳利は水瓶に入ってると出ましたので”とか言って,俺が出せばいいんだ」
妻「いえ,それだけだと何だか怪しいからさ,もっともらしい事を言うんだよ。“私の家でも煤取りをしていましたら,古い巻物を見つけました。家内の父親は易者をしております。この巻物には,その易の立て方が書いてあり,それに従えば,どんな難しい易でも必ず当たるということです。だから,まず先にお徳利のある場所を当てたいと思います”ってさ。ついでに“私の占いは生涯に三度きりしか出来ません”とか言えば値打ちも出るよ」
善「うん,なるほど」
妻「算木(さんぎ),筮竹(ぜいちく)が使えれば一番いいんだけど,素人には難しいから,算盤なんかがいいよ。お前さん,達者だろ。重々しい風に算盤を机の上に置いて,お盛物(お供え)をして,有難そうに拝んでから,あとは適当にパチパチやってればいいんだよ。確か,お台所は艮(うしとら,北東)の方角じゃなかったかねえ」
善「うん,艮だ」
妻「そう。いいかい,ここからよく覚えるんだよ。“ただ今,易を立てましたところ,艮為山(ごんいさん)と出ました。これは艮のこと。この易が変こうをいたしますと山水蒙(さんすいもう)となります。山水蒙は‘童蒙(どうもう)に求むるに非ず,童蒙より我に求むる’とあって,家の内にあるという意味ですから,お台所の方角で,土と水に縁がある器の中にあります”。その後で台所に行って,ちょっとウロウロしてから,水瓶に手をやって出したらいいじゃないか」
善「へええ」
妻「言ったことはちゃんとしてるんだから,後で本当の占い者に聞いても,お前さんがデタラメを言ったんじゃないってわかるしさ。ね,行っといで」
善「行くのはいいけども,さっきのモニャモニャがな」
妻「何だい,モニャモニャってのは」
善「そうだ。こうしねえ。お前も一緒に行って,俺の後ろで大声で今のを言って,その前で俺がパクパク 口を動かす」
妻「そんなことできるかね。“ただ今,易を立てましたところ,艮為山と出ました。この易が変こうをいたしますと山水蒙となります。山水蒙は‘童蒙に求むるに非ず,童蒙より我に求むる’とあって,家の内にあるという意味ですから,お台所の方角で,土と水に縁がある器の中にあります”ほら,これだけだよ」
善「わかったよ。行ってくらァ・・・・・・あーあ,“求むる求むる”言ってたよ。こっちは苦労を求めちゃった・・・・・・ええ,ごめんくださいまし」
【Act Ⅱ】
主「ああ,なんだ。善六か。何か忘れ物か。え,なに。お前が易でお徳利の場所を当てる?本当か。ふん,ふん。そうかい,すぐにお願いするよ」
善「へいっ。では,この六畳の座敷をお借りいたします。こう机に算盤を置きまして,あっ,お盛物をした方がいいですかな」
主「お盛物か。お菓子とか」
善「いえっ,甘い物は,あたしは好きませんで」
主「お前が食べるんじゃない。じゃあ,お神酒と両方,用意するから頼んだよ」
善「へい。ところで,あたくしの占いは生涯に三度しきゃァ出来ません。月に三度ならえらいこと。チチチッ,チチッ,チチチチッ。ははあ,なるほど。この算盤からは,ゴンイサンと出ました。方角は艮です。これが変こうをしましてサンスイモウとなる。サンスイモウはドウモウ我を求め,あれを求め,これを求め,さて求め」
主「大変に求めるね」
善「ええ,売り出しのことですかな。あっ,二十歳になる女が神様を汚したからこういうことになった,と出ました。それは,ええと,女中さんのお鍋どんです」
主「お鍋だって。ちょっと待ちなさい。おい,お鍋,番頭がお前の名前を言った。こっちへ来るんだ」
善「ああ,お鍋どん。お前は荒神様を汚したことがあるね。いや,間違いない。お前は食事の時,飯を盛ってくれるが,人によってまるっきり盛り方が違うだろう。あたしにおかずを盛る時も,ひじきばかりの時がある。このことで,荒神様が大変お怒りになっている。そのために,荒神様がお徳利をお隠しになったが,しかし旦那,台所の方角で,土と水に縁がある器に入っていると算盤に出ています」
主「そうかい。じゃあ,台所へ行こう」
善「あっ,旦那,水瓶の中にありました」
主「なに!本当かっ。はァ,よかった。おい,みんな,お徳利が出た。全て善六のおかげだ。実にめでたい。そうだ,まだ遅くないから,今からでもお祝いをしようじゃないか。今年は暮れになって,大変なことだったな。まあまあ,善六。今日はお前が正客だ。ゆっくりしておくれ」
○「パンッ。パンッ」
主「・・・・・・あっはは。みんな,もっと呑んでくれ。ん?二階でお手がなっている。今,二階に泊まっていらっしゃるのは鴻池様のご支配人の方。いえ,そのまま呑んでいていい。あたしが二階にご用をうかがってくる」
鴻池家の支配人(以下,鴻)「ああ,ご主人か」
主「お目ざめでございましたか。今,下で騒いでおります。まことに申し訳ございません。もう,ほどなく」
鴻「いやいや。我々も本当なら明日ここに泊まることになっていたんやが,急な都合で,そちらの煤取りの日に来てしまって申し訳ないと思うとる。ところで,ちょっとあなたに相談があるよって」
主「へい。何でございましょう」
鴻「何やら,なくなった物が占いで出たという」
主「はあ。まことに不思議でございますが,番頭の善六が,私共の家宝のお神酒徳利を,易で割り出しましたんで」
鴻「なるほど。そこでだが,知っての通り,わしの主人は大坂の鴻池。今年,十七になる娘さんがあるが,病の床に伏している。名医はもちろん,加持祈祷をしてみたが霊験(げん)もない。どうか,善六さんに大坂に来てもらって,娘さんをみてやってはくれまいか」
主「そうでしたか。よろしゅうございます。長年,ご贔屓くださっている鴻池様のお頼み,早速,当人に申しつけてまいります」
鴻「ありがたい。礼はなんぼでもしますよってに。ここに,少ないがとりあえずのお金。ご本人に,どうぞよろしく」
主「わかりました。少々お待ちください・・・・・・おい,おーい。善六や,善六」
善「ぐあっはははッ。あっ,旦那様。いやッ,あたしはね,今日くらいめでたい日はないと思いますよ。ヒック。それでは,これからみんなにあたしのカッポレをご覧いただこうと」
主「うん,カッポレでも何でも見せていただくが,ちょっと来ておくれ。実はね,二階にお泊りになっている鴻池様のご支配人だが,こういう訳で,お前を大坂に連れて行きたいとおっしゃるんだが,行ってくれるか」
善「え?よ,酔いが醒めた。あの,そ,そういうことでしたら家内にも相談しませんと」
主「それはそうだ。ただ,向こうでもお待ちだから,今晩の内に決めておくれ」
善「へえ。では,相談してまいります・・・・・・あーあ,人を祈れば穴二つっていうよ。今度は荒神様の罰がこっちに当たっちゃった。どうしよう。おい,今帰ったよ」
妻「お帰りなさい。心配してたよ。うまくいったかい」
善「うまくいきすぎたんだよ。こうこうこういう訳で,俺を大坂に行かせる気だ」
妻「よかったじゃないか。相手は物持ちの鴻池さんだろ。お前さん,贅沢に上方の見物ができるよ」
善「冗談じゃねえやい。俺の占いはインチキじゃねえか。向こうの娘さんが水瓶に入ってりゃ別だけれど」
妻「病人を水瓶に入れる人もないもんだよ。失せ物判断は難しいけれども,病人をみるのは楽だよ。お父っつぁんに易の本を借りてあげるから,病人の枕元に行って,その本と顔をじいッと見比べるのさ。本に書いてある死相が出ているようなら“神様が祟っております”と言えばいいよ」
善「確かに死ぬか聞かれたらどうすんだい」
妻「そしたら“無常の風は時を嫌わずといって,人間は生涯に必ず一度は死にます”と言えばいいやね。あたしのお父っつぁんは,難しいのはみんなそう言うんだよ。ねえ,こんなたくさん前金をもらっちゃって,これで借金も返せるしさ,着物や帯もこさえられるし,子供を連れて芝居にも行けるよ。あたしゃ有り難い」
善「俺は有り難くねえやな。じゃあ,度胸をすえていってみようか」
【Act Ⅲ】
鴻「善六はん,ちょっと待っておくれ。いつも江戸から大坂へ帰る時には,神奈川ではこの宿に泊まっているんやが,今日はなぜか閉まっている。お前はんも慣れん旅じゃ。江戸からここまででも疲れたじゃろう。今,中の人を呼んでみるよってに。あの,誰かっ」
神奈川宿のおかみ(以下,宿)「はい。あっ,これは鴻池様。あの,こちらに取り込み事がございまして,今はお客様をお断りしておりました。鴻池様ですので,お話いたしますが,実は一昨日,薩州のお侍の方々がお泊りになりました。翌日になると,お巾着(財布)がなくなったとのこと。中には七十五両と,島津様から将軍家へ差し出す密書が入っておりました。外から賊が入った形跡はないので,主人が疑われ,役所にひかれております。もしお巾着が出なければ,主人はどうなることかと」
鴻「なにっ,それは大変。お金の方は,あんたの家で何とかなるとしても密書というものがえらいこっちゃ」
宿「手前どもでも占いなどしてもらいましたが一向に手がかりがございません」
鴻「占いか。うん?そうだッ,おかみさん。こちらにござる先生,この先生にみてもらったら間違いない。一つ わしから頼んでみよう。ええ,お聞きおよびの通りで,今,この店の運命の別れ道。あんたの占いは日に三度という。江戸でいっぺん,大坂でいっぺん。どうか,ここでもういっぺん」
善「トホホホッ。まだ二へんも残っていやがった。二度にしときゃあよかったんだ。わかった。いいよ,いいよ。やってあげますがねぇ。盗った奴はわかってんのかい?わかってりゃ楽なんだけどな。多分,盗った奴は泥棒だよ。あーあ,占いますよ。あの,あそこに離れの建物があるけれども,静かそうでいい。じゃあ,あの離れの中で占うからね。いいかい。それからね,あと,大事なことを聞くが,あそこから表へは出られるのかい。往来に出られる?うん,それはいい。そうそう,神様へのお盛物が必要だ。いや,お菓子みたいなのはいらない。おむすびがいい。それに,新しい履き物を二足と,提灯とローソク。じゃあ,今晩の八刻(やつ,二時頃)の鐘がなった時分に,盗んだ者の歳から名前までがこの算盤に出るから,それまでは誰もあたしの所に来ちゃいけませんよッ・・・・・・あー。驚いた。上方見物どころか,神奈川見物だったね。仕方ねえや。まあ,ここには誰も来るなって言ってあるし,オムスビもワラジもチョウチンもある。夜がふけたら,さっさと逃げちゃおう。うん?今,打ったのが八刻の鐘かな。もう,そろそろ行くか」
神奈川宿の女中(以下,娘)「あの,江戸からおいでになった先生」
善「うわッ,誰だッ。ここには誰も来ちゃいけないと言っておいたはずだ」
娘「私はここの女中でございます。実は先生にどうしても聞いていただきたいことがあります。お巾着を取ったのは,私なんでございます」
善「なにっ。こっちに来なさい。障子を閉めて。さ,座布団を出しましょう。お前,一体どうしてこんなことをしたんだい」
娘「お話ししますと,私の父は神奈川の在(田舎)で百姓をしておりますが,先日,その父がどッと病の床につきました。薬を買いたくても水呑み百姓のことで買うことができません。だから,私が主人にお給金の前借りをお願いしてみましたが,それも聞いてもらえません。それで,悪いことと知りながらお巾着を盗みました。それがために,このような,その,とんでもねえことになりやして。今さっき,壇林(仏教の施設)で打ちましたのが八刻の鐘。八刻になれば,先生の算盤には盗った者の名前も歳も出るということ。もう,あたくしがお巾着を盗んだことが出ておりますでしょうか」
善「ん゛。うむ,ちゃんと出ているッ」
娘「どうお詫びしたらいいか。すぐにでも,あたくしは死のうと思います」
善「まあ,お待ちなさい。まだ若い身じゃないか。いくつだい。十八か。名前は。お梅か。うむうむ,それも知っていた。それで,巾着はどうした」
娘「去年,嵐がありまして,裏のお稲荷様のお宮が潰れました。その,床板が積み上げてある中に隠してあります」
善「それは何枚目の板の間に隠したか覚えているか。五枚目か。入っていたお金はそのままになってるのか。ところで,嵐の時,この家は大丈夫だったかね。なるほど。よしよし,わかった。親孝行に免じて,お前は助けてやろう。人目につかないように戻りなさい。泣いていると気づかれる・・・・・・はっはは,ありがたい。善六さん万歳だね,こりゃ。なんだ,こうなるとわかってりゃ,お盛物に草鞋なんか頼まなきゃよかったよ。食えねえからな。それじゃ,早く店の者に教えてやろう。パンッ,パンッ」
鴻「先生,易はどないなことに」
善「ええ,さきほど八刻の鐘がなりました。あたしはずっと拝んでいた。これから皆さんの前で,この算盤にぴたッと出しますからね。チチチチチ,チチチ,チチチ。ははあ,この家には祟っているものがある。何が祟ってるかな。二を掛けてニナリ,ニナリ様。お稲荷様だ。この家の裏にお稲荷様のお宮があるだろう。去年,それが嵐で潰れたね。そう出ている。その嵐の時に,この母屋は何事もなかったはず。それは,裏のお稲荷様が守ってくれたんだ。しかし,お宮を建て直さないままでいるので,お稲荷様はお怒りになっている。お狐様もコンコンだね。だから,そのお稲荷様が,お巾着をお隠しになった。さて,その隠した場所は,こう五玉をはねてと,なぁるほど,積み上げた床板の五枚目か。行って探してごらん」
宿「先生。お巾着がありました!」
鴻「なにッ。先生,あんたはまことに名人じゃ」
宿「どうか主人が帰りますまで,ご逗留を」
鴻「いや,わしらの方でも用がありますよって,明朝には失礼するから,帰りにお立ち寄りを願うたら」
宿「そうでございますか。それではほんの道中の鼻紙代に」
善「うひっ,三十両ある。こんなに鼻をかんだら鼻がなくなっちまうよ」
娘「あの,先生。昨日は」
善「お梅さんか。ここに五両あるから受け取りなさい。誰か来る前にしまいな。いいかい,親のためでも了見を違えちゃいけないよ」
娘「はい。何と申し上げたらいいか。ご恩は一生忘れません」
【Act Ⅳ】
善「・・・・・・五両は少し多かったかな。まあいいか。神奈川宿まではうまくいったんだが,多分,もう運は続かないね。とうとう大坂まで来ちまった。また,この家は豪華絢爛だね。さすが鴻池さんの家だ。でも,腹はへったな。見よう見まねで断食と水垢離(みずごり,水行)してんだから。どうせ,こんなことしたって無駄だよ。下へも置かない扱いしてくれてるから,やるだけやってみてるが,もうやめちまおうかな。二十一日目んなるし。この家の人も気の毒だったけど,いい加減にずらかっちゃうか。あーあ,眠くなってきた。ぐぅーーー」
△「これ,善六,善六」
善「んっ。誰か俺を呼んだね。はて,この家で俺を善六というのは?あっ,いやっどうも,これはどちらのご隠居様で」
稲荷神(以下,神)「我は,その方に盗人の罪をぬりつけられし,神奈川宿の裏手に位置する正一位稲荷である」
善「へへえッ。お稲荷様でございましたか。わざわざ大坂までご出張恐れ入りますっ。その節は,お稲荷様の祟りなどと嘘をつきまして,どうかご勘弁を願います」
神「いや,よい。その方のおかげで,稲荷は霊験あらたかなりと評判になり,立派に宮を造営され,参詣人も増え,その上で正一位の贈り号を受けた。ついでに文化勲章も受けた」
善「ははあっ,それは結構なことで」
神「よって,稲荷より,その方に礼をしたい。この家の娘の病だが,これは人間にはどうしようもないこと。稲荷より特別な方法を教える。よく承れ。その昔,聖徳太子,守屋の大臣と仏法をあらそいし時,当地は一面の湖であった。その中に守屋の大臣,あまたの仏体を沈めたるが,湖が埋まり埋まって大坂という大都会にあいなった。よって大坂の土中には諸所に仏像金像が埋もれておる。当家の乾(いぬい,北西)隅の柱の四十二本目のもとを掘り下げてみよ。一尺二寸の観世音の仏体が現れる。これをあがめよ。娘の病気たちどころに全快する。ゆめゆめ疑うことなかれ」
善「へへェーッ,どうもありがとう存じます。帰りはどうぞお駕篭で。ん,あれッ,誰もいないよ。今のは夢か。まあいい,みんなを呼んでみよう」
鴻池家一同(以下,一同)「先生,えらいお骨折りのことで。娘の病気はどないなことでございましょう」
善「一同,よく承れ」
一同「へ,へへェー」
善「その昔,聖徳太子,守屋の大臣と仏法をあらそいし時,当地は一面の湖であった。その中に守屋の大臣,あまたの仏体を沈めたるが,湖が埋まり埋まって大坂という大都会にあいなった。よって大坂の土中には諸所に仏像金像が埋もれておる。当家の乾隅の柱の四十二本目のもとを掘り下げてみよ。一尺二寸の観世音の仏体が現れる。これをあがめよ。娘の病気たちどころに全快する。ゆめゆめ疑うことなかれ。あれ,覚えてちゃってら。それより腹がへった」
鴻「先生っ。すぐに雑炊でも」
善「いや,雑炊はいらない。ローストチキンかなんかを」
鴻「・・・・・・先生の言う通りにしたら,ほんに病気が全快し,大変に目出たいことですよって,これから当家の米蔵を開き,貧しい方々に施しをいたそうと思います。先生へのお礼としては,先生のお望みの者をなんでも差し上げたいので,何でも遠慮なくおっしゃってください」
善「えっ。それならば,江戸であたしも旅籠屋をしてみたいのですが」
鴻「喜んで,お建ていたします」
善「本当かい?いや,なんだか急に偉くなっちまったよ。算盤だけに桁違いだ」

プロローグ

オミキドックリと読みます。昭和四十八年,六代目三遊亭圓生が宮中の御前口演で演じた噺です。
これは,似て非なるもう一つの筋がありますが,今回は圓生のコースを取ってみようと思います。

旅籠(宿)